マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

詩「社会は私を生かし、そして殺した」

 社会の対極に、布置していた。

 しかし、社会はそこに私が居ることを、知らなかった。

 社会に布置させることが、幸福だと、思っていたのだ。

 

 

 

【社会は私を生かし、そして殺した】

 

社会は私を生かした

そして殺した

 

社会に殺されたことのない人は

そんなことを想像もできない人は

ただただ社会が善

社会が正義

社会が自分

自分を押し広げていけば

そのまま社会の正義になる

エゴを糊塗しながら

自分はそのまま社会になり

社会はそのまま自分になる

そんな特権に気づくこともなく

社会は自分の家と

うそぶける

 

社会からいちばん近い人は

社会の中に身を置いても

それは自分自身だから

自分が殺されることはない

殺されることを知らない

そうして社会からいちばん遠い人を

自分に取り込む過程で

引き裂いてしまう

 

社会からいちばん遠い遺伝子を持った

ある種の人は

社会を願いながら

強く強く願いながら

社会の傍で窒息する

社会からいちばん近い人に

自分をむしり取られる

社会さえなければ

自分が殺されずに

自分が自分でいられると

こっそり禁句を吐く

社会に殺されたことのない人は

そんな人の涙を

絶対に理解できない

想像だにできない

 

社会は私を生かした

自分を生かせるほどに

生かして社会になるほどに

そして社会は私を殺した

社会の存在しない世界で存在したい

と願うほどに

社会からいちばん遠い人の存在しない

世界で存在したい

と社会が願っているとしても無理はない

社会が社会からいちばん遠い人を殺す

社会からいちばん遠い人が社会を殺す

こんなものを背負って

存在できる者はだれもいない

存在できる者は

すでに殺した者か

殺された者なのだ

 

それゆえに

存在しない世界で存在したい

と願うのは自然なことだ

けれどももし

殺されることがないならば

自分が自分でいられるならば

社会で存在したい

と願うことはできるだろう

事実そうなのだ

 

どうすればいい?

あるいは? もしかして?――

 

 

 

社会は私を生かし、そして殺した



(2021.9.20)

---------------------------------

【ひとこと】

私が体験した極限的な状況を、いささか大げさな「詩の言葉」で表現したもの。
ほとんどの人は反感を覚えるだろう。
反感を覚えない人は、もしかしたら、「すでに殺された者」かもしれない。

聴覚過敏を伴った自閉症感覚とその能力(2) 予知覚

 ある出来事が起こりかけている気配を〈徴候〉という。つまり時間や空間の与える〈印〉である。

 五感が反応する前に、〈徴候〉は私の心にいち早くスタンプされる。この感覚はテレパシーのようなもので、第七感の域に達しているのかもしれない。五感を統合する根源的能力である共通感覚中村雄二郎『共通感覚論』、岩波書店、二〇〇〇年)と言えるだろう。

 

 私の聴覚は〈徴候〉を捉えるレーダーの役割も果たし、共通感覚を広げたのだろう。人の存在を存在として、つまり〈核〉のまま受け取る能力を高めたのだろう。

 ただ、身体の中で起きる物質的(フィジカル)な反応も強いので、個別的な五感のうちにとどまり、共通感覚として十分な統合がなされていないようにも思う。

 

 聴覚過敏が重度になり、私は〈予知覚〉ができるようになった。これは予知と知覚を合わせた私の造語で、未来に起こり得ることをあらかじめ知る感覚という意味だ。

 

 

〈予知覚〉の起こり方には三段階ある。

 

 まず私の共通感覚が、ある出来事が起こりかけている〈徴候〉を捉える。とくに聴覚レーダーがいち早く反応し、聴覚過敏になることがある。ユップ守衛やキーパンチ(※人の名)の前で症状が出た(第十三章)ように。

 視覚情報も〈徴候〉を捉える手がかりになる。

 

 次に、捉えた〈徴候〉を過去に起きた出来事のパターンに結びつける。過去に得た体験や知識は、キーワードか図形として記憶に保管されていることが多い。そのキーワードや図形と、捉えた〈徴候〉のパターンが、同じであるとか似ているという判断を、すぐに下すことができる。

 これは、パターンに分類すると世界に秩序ができたようで安心するという、自閉スペクトラム症の特性(私が受けた知能検査では積木模様の得点が高かった)で、聴覚過敏とは別の感覚ではあるが、〈印〉の判断には違いない。

 

 こうして、未来の〈徴候〉を記憶に刻み込まれた過去のパターンに当てはめ、ピタリと嵌(は)まると、こうなるだろうという予感が生まれる。これが私の〈予知覚〉である。未知なる事柄を白紙から言い当てる超能力では、決してない。

 

 〈予知覚〉から私の聴覚過敏は生まれる。否、〈予知覚〉が聴覚過敏なのだ。それは研ぎ澄まされた自己防衛本能とも言える。

 

 私はネガティブ寄りの性格である。ネガティブな性格の人は、危機察知能力が高いという。だが私の場合、性格ばかりでなく、自閉症感覚のもたらす強大な〈印〉が、聴覚過敏の能力を発現させていると言えるだろう。

 

 人の意思・本質の透視、社会動向の察知、共通感覚、そして〈予知覚〉。これらはいずれも聴覚過敏を伴った自閉症の感覚であり、同時に、能力でもある(私の場合)

 私はいわゆるKYで、場の空気を読むのが苦手だ。表情を読み取る力も乏しい。しかし、こうした周縁的な自閉症感覚を用いて、空気や表情の読めなさを補っている。

 

――『マイノリティ・センス(下)』あとがきより――

 

 

f:id:amanekouko:20210726231151j:plain

 

聴覚過敏を伴った自閉症感覚とその能力(1) 体性感覚から伝わる人の意思

 スリランカ上座仏教には、〈印〉(または〈想〉。サンニャーと読む)という言葉がある。対象を認識するときに、他のものとの違いに気づく心の働きをいう。意味は印象impressionに近い。

 

Saññāとは、感じたものについて何か区別するために、印のようなものが生まれることです。

アルボムッレ・スマナサーラ『サンガ文庫 ブッダの実践心理学 アビダンマ講義シリーズ 第三巻 心所(心の中身)の分析』、サンガ、二〇一三年、四二頁)〉


 私の〈印〉は強大で、深い。心に押されるスタンプが強烈なのだ。

 

蝕phassaの衝撃

 

 とりわけ人の声から受け取る〈印〉は大きい。よく格闘漫画やゲームで、空気の波動でダメージを食らうシーンがあるが、あんな具合に衝撃を受ける。

 

phassaが大きい


 声には、私の魂に触れた瞬間の 〝感触〟 がある。ざらついた感じ。尖った感じ。固い感じ。ふわっとした感じ。

 ある人の声は、赤くてつやつやしたゴムのような表面が、ボヨンボヨンと張り出したり引っ込んだりしている。

 ある人の声は、水のように透明でさらさら流れている。

 ある人の声は、錆びた鉄の釘みたいに危なっかしい。

 

 新型コロナウイルスの第一波が来たとき、人々の声にはコロナウイルスの表面にある突起のようなものがあり、ふだんの一・四倍ほどガリガリ尖っていた。笑い声であっても行き場のないストレスが弾けているようだった。


 私にとって聴覚は、体性脊髄神経によって伝達される触覚、圧覚、温覚、冷覚、痛覚、運動感覚などの「体性感覚」に近いのである。

 

 私は声の 〝感触〟 から人の意思を感じる。人の心の中にある思いや感情が、声の調子や響きを通して私の中に雪崩(なだ)れ込んでくる。小さなため息を耳にするだけでも負の感情が生のまま押し寄せ、全身が鼓膜になって振動するようだ。

 

                   *


 聴覚が過敏になり、人の心にも敏感になった。聴覚の機能は聞くことだけではない。生活空間の中で自分の立ち位置を把握し、人(生物)との関係と距離を知覚するのだ。

 

 聴覚過敏とカルナー(仏教の概念で、人の苦しみをともにする心)が両輪で働くと、きめ細かい心遣いが可能になる。HSP(Highly sensitive person 感受性の強い人)で共感力の高い「エンパス」の人がいるが、それに近いか、あるいは同じであると思う。

 

 さらに、〈騒音描写〉ノート(『マイノリティ・センス』第十三章)を取りながら、服の柄や持ち物などの視覚情報も交えて声を解析すると、人の本質を透視できるようになる。その人がどのように自分と世界に向き合い、何を求めて生きているのか、心の軸となるものを感じるのだ。


 自閉症者のドナ・ウイリアムズも『自閉症という体験』で同じことを語っているが、生命には〈外殻〉〈核〉(いずれも私の造語)がある。〈外殻〉は生命が外の世界に接するときの最初の印象であり、ドナは「edge 縁」と呼んでいる。〈核〉は存在の志向性であり、生命を駆動しているエンジンの形である。生命の意思は〈核〉にあり、〈外殻〉の色や形や感触に影響を及ぼす。


 文字や会話から受け取ることばからも生命の〈外殻〉〈核〉を感じるが、やはり声音(こわね)の 〝感触〟 は大きい。滝が滝坪に雪崩れ込むようにドドッと叩きつけられるようだ。人の着ている服の色や柄も〈核〉の意思を伝えてくる。

 

 元号が令和になって一月たった頃、街に溢れる人々の声の変化を感じ取った。それは、平均から逸脱している人を発見し正す暴力を、狂騒で無理やり覆い隠しているような声だった。これまで以上に無感覚で思考停止する人々の群れ――ファシズムの気配(違っているかもしれない)である。

 こうして聴覚から社会動向を探ることもできる。

 

<続>

 

 

ブログに書くことが思いつかない & 聴覚過敏手記プレ出版

「そろそろ記事を書きたい」と書いた後、気づけば、4カ月も経っていました。

 

その間、聴覚過敏手記を自分で製本して、ドラクエ11のゲーム実況にハマって、手記を文芸社中日新聞のコラボ企画の自分史大賞に応募して、ドラクエ11の主人公のサラサラ髪はドラクエにしては珍しくHSP気質を表現しているのかもとか思って、手記をkindle出版することを思い立ってまたしても推敲が終わらなくて死にそうで、遂にドラクエ11が欲しくなりプレステも要るんかと悶々として、次の手記「<自閉>と<社会>のはざまで」を書き進めるも森口さんの『自閉女の冒険』が良すぎて感想を書きたいのに手記で一杯一杯で、ドラクエ11ができない禁断症状でGEOの黄色い看板ばかりをチラ見して・・・

 

と、余計な煩悩に目がくらみつつも、手記の推敲をしていました。

 

 

書くことが思い浮かばない

最近、ブログに、書くことがない。

思い浮かばない。なんか、書けない。

その理由は――

 

1、私の抱えている問題がマイナーすぎる

自閉症に関して)私が悩んでいること、困っていること、抱えている問題が、ニッチすぎて、マイナーすぎて、多くの人の抱えている問題と一致しない。

 

2、深刻な問題を書きづらい & 書くと身元が割れる

深刻な問題を気軽に書けない。

問題がマイナーなので、書くと、身元が割れる。

嘘がつけない性分なので、ウッカリ書かなくていいことを書いてしまうのを恐れ、控えてしまう(嘘が書ければ、もっとしゃべれる)。

 

3、あまり家から出ないので、話題がない

4、読んでいる人が少ないので、モチベーションが続かない

 

5、コミュニケーション前提で表現するのが難しい

 「コミュニケーションのための言葉」と「自己表現のための言葉」が、私の中で、分かれている。

読者を想定し、コミュニケーション前提で言葉を発すると、私の場合、自己表現しづらくなる。

「コミュニケーションのための言葉」を優位にし、これを目的にすると、自分の言葉が死んでしまう。

 

・・・というところでしょうか。

コミュニケーションに重きを置くと、書けなくなるので、もう少し、口調をクローズな感じにしていくかもしれません。

 

これからアップする予定

書くことがなくなってきた&なかなか書けないとはいえ、書きたいテーマはあります。

自己表現の場は欲しいです。閉鎖する気はまだありません。

 

  1. 自閉症を伴った聴覚過敏の能力に関するエッセイ
  2. 自閉症のミニ手記「<自閉>と<社会>のはざまで」

 

をアップする予定です。

・・・予定ですが、3カ月後、否、半年後、否、3年後になるかも・・・。

 

最近、(プレ)出版したものの紹介

 

天寧煌子

左から1:自分史「ひとつ葉」

岐阜県内の図書館、国立国会図書館などにあり)

このブログに上げる予定のミニ手記「<自閉>と<社会>のはざまで」を、14号に掲載します。

 

左から2:イラストのアンソロジー集「energy2021」

 

小路希世の絵

2点だけですが、私の絵が載っています。

 

左から3:詩のアンソロジー集「蒼炎浪漫」19号

(たぶん岐阜県内の図書館、国立国会図書館などにあり? たぶん…)

私の詩と小説が7作品掲載されています。

 

左から4:聴覚過敏手記の自家製本『マイノリティ・センス』

 

マイノリティ・センス

マイノリティ・センス

マイノリティ・センス(本文)

 自家製プリンターで製本したもの。

3年かけて11回推敲しましたが、まだ終わりません。

私の言葉が、ひとりよがりで、コミュニケーション向きではないからです・・・。

kindleで出版したいと考えていますが、編集者の目が通っていないので、こんな自閉的な日本語で、果たして一般の人に通じるのか? と葛藤しています。

 

 

ハァ、広報は、本当に本当に苦手です・・・。

20年心にしまい続けた森口奈緒美さんへのファンレター

私は自閉症当事者・森口奈緒美さんの大ファンです。熱烈といっていいほどかもしれません。

先日、森口奈緒美さんの自伝第3作『自閉女の冒険』をチラ見(まだ途中までしか読んでいない)しました。

 

自閉女(ジヘジョ)の冒険──モンスター支援者たちとの遭遇と別れ

自閉女(ジヘジョ)の冒険──モンスター支援者たちとの遭遇と別れ

  • 作者:森口 奈緒美
  • 発売日: 2020/02/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 
森口さんいわく「もう、あまり、時間がない」(214頁)という気になり、いてもたってもいられず、長年にわたる森口さんへの思いを書き記すことにしました。

 

 

変光星』との出会い~アスペルガー症候群を診断される

20代前半だった頃、私は職場でことばの聞き取りがうまくいかず(他にも状況理解のまずさやいじめ等もあり)鬱が酷かったためにアスペルガー症候群を疑い、関係の本を調べている時、偶然、『変光星』を手に取りました。

 

 


それは、初めて読んだ自閉症者の手記でした。


「こんなにも命懸けで自閉症と、世間と闘って生きている人がいるのか……!」


涙を流して感激したことを覚えています。

先達者の存在が心強く、勇気づけられました。


森口さんの事例を参考にして、半年かけて生育歴をまとめ、ある病院でアスペルガー症候群を診断されました。

森口さんの著書あって辿り着いた診断でした。

 

ドナの本にも出会う

余談ですが、それからドナ・ウィリアムズの著書にも巡り会い、今度はドナに没頭しました。

 

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

 


私にとってドナは姉のような存在でしたが、英語音痴が壁になり、積極的にコンタクトを取ることもなく、遠くから憧れていただけでした。

気付くとドナは、既に亡くなっていました。

私はその間、ひたすら自分・世間と「戦争」していて、なんの余裕もなかったのでした。

 

明るく、軽く、キラキラしている手記は心を打たなかった

いつしか発達障害の情報は多くなりました。

別の当事者による手記も手にとってみましたが、最後まで読み通すことはなく、さほど印象には残りませんでした。

いいなと思った手記もあったのですが、自分の内面的な「戦争」に明け暮れて、読み通す気力が続かなかったのでした。

特に明るく、軽く、万人に受け入れられやすい作風のもの、「発達障害だから○○できる!凄い!」系のキラキラしたものは読めませんでした。

〈軽い〉作風の手記には、一般的には安らいで読める良さはあるでしょうが、決して私の心を打つことはありませんでした。

 

森口さんの手記の〈重み〉が〈支え〉に

同調圧力の強い日本という国。意識が〈拡散〉していく現代という時代。

森口さんや私のような人間は、時代・人間の趨勢から完全に〈逆行〉しているから生きづらい。何を言ってもやっても、みんなの〈逆〉になってしまいます。

そうした現実の〈重み〉を凄まじくリアルに突き出しているのが、森口さんの手記でした情報弱者の私の得ている情報の幅が狭すぎるのかもしれません。他にもリアルな手記はあるのでしょう)

 

どの当事者の手記よりも、森口さんの手記には〈重み〉があるように私には思われました。

世の中に一人で〈逆らって〉いて、その衝撃と重力の底で悲鳴を上げている。

それは一人の人間の生きた証、〈当事者文学〉そのものでした。

まさに「命懸けで書いている」――(だから好き!)

そしてその〈重み〉は、私の生きる〈支え〉となっていきました。

〈重い〉からこそ〈支え〉となりうる重力を得たのです。


森口さんのように、世の中に大々的にもの申す気力もなく、私は社会や聴覚過敏との闘いに明け暮れました。

そんな中で、森口さんの手記は20年以上、私の生きる拠り所であり続けました。

 

ファンレターを書くのが夢だった

ファンレターを書こう書こうと思いながら、長い年月が過ぎてしまいました。

変光星』も『平行線』も、もう一回ちゃんと読み直さなきゃ……などといろいろ襟を正してしまって(読むのが苦手なのもありますが)

リスペクトしすぎて、恐れ多くて書けないといったところかもしれません。

だからこの記事は、出さなかったファンレターです。

 

日本で一番面白いノンフィクション

『自閉女の冒険』は3分の1ほど読みましたが、やはり素晴らしいの一言です。

〈当事者文学〉としての〈重み〉があり、心がノックアウトされます。

日本で一番面白いノンフィクションです。私には。

私に生きる力と〈支え〉を与えてくださった森口奈緒美さんの、果てしない苦しみが和らぎ、穏やかで安らかな日々が訪れるように願っています。

そしてできれば、私がファンレターを書くまではご健在で、生きていらっしゃるように、と…。

9ヵ月ぶりの投稿です。近況〈聴覚過敏手記〉など

久々の投稿です

9ヵ月ぶりの投稿です。
ブログを始めてから、集中しすぎるのを止められず、画面を凝視し続けて、視力が大幅に悪化してしまいました…。
空間定位(空間に自分の身体の位置・姿勢を定めること)がしづらくなり、聴覚過敏も悪化したので、長らくパソコン画面から遠ざかっていました。

 

聴覚過敏の手記を推敲していました

聴覚過敏の手記の推敲をずっとしていました。
原稿は完成して、そろそろなんらかの形で発表(出版)したい。
宣伝は苦手だけどやらなければならないので、集中しすぎて目を酷使しないように気をつけながら、これから少し記事を上げるかもしれません。

 

手記のタイトルはこのブログと同じ『マイノリティ・センス』。
表紙のイラストはこちらです。

 

『マイノリティ・センス(下)』表紙

『マイノリティ・センス(上)』

 

『マイノリティ・センス(下)』表紙

『マイノリティ・センス(下)』

 

線画は鉛筆。アクリル絵の具(金)をローラーで塗ったものを、photoshopで合成しました。

上の絵の痛々しい血しぶきは、赤絵具を指で弾きました。

 

森口奈緒美さんのこと

・・・それから森口奈緒美さんに関する記事も書きたいです。
『自閉女の冒険』を斜め読みして衝撃を受け、ファンレターを書かねばと、いてもたってもいられない気持ちです。

自閉女(ジヘジョ)の冒険──モンスター支援者たちとの遭遇と別れ

自閉女(ジヘジョ)の冒険──モンスター支援者たちとの遭遇と別れ

  • 作者:森口 奈緒美
  • 発売日: 2020/02/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 


ホームページを再開されたと知り、心強いです。

note.com

 

どうかご健在でいらっしゃいますように!

言葉が重くてパッと出ない…

行きたい場所がある。

かけたい電話がある。

……でも腰が重い。

聴覚過敏がハードルになっているのですが、言語の問題もあります。

 

言葉が沼の底に沈んでいるよう

自分の要求をパッと言葉にできない。

そうできる自信がありません。

 

言葉が重たい沼の底に沈んでいて、なかなか浮かんでこない感じです。

その時その瞬間に、うまく引っ張り出せない心もとなさがあります。

たとえとっさに言葉が出たとしても、相手に合わせる表面的な言葉になってしまうことがあります。

そこには「自分」がいないことも…。

「自分」はもっと底の方に座っています。

目の前の人に合わせている「自分」は、かなり演技しています。

 

質問されたときもそうです。

本当に自分が思い考えていることを、即座に言葉にするのは難しいです。

できることもあり、そのときは嬉しいですが、できないときは不全感が残ります。

 

とにかく時間がかかります。

常に書くものが必要です。

 

台本があれば話しやすい

だから、あらかじめ台本を書いて、自分の言いたいことをまとめておきます。

 

言葉がパッと出ない

 

この筋書きがあれば、心に刻みつけられた文字を見ながら話せます。

心の中を覗きながら、現実に接することができます。

一度話し始めると、「自分」も「言葉」も少しずつ「重力の沼」から浮かび上がってきますが、何事も入念に台本を書いておかなければ、最初の言葉は出づらいです。

言葉が出づらいので、人に働き掛けるのは、いつも腰が重いです。

 

※8年前の記事を公開しました。

roots-amanekouko.hatenablog.jp

超個人的偏愛趣味音楽【ドラクエ/アルヴォ・ペルト/dir en grey/モーツァルト/光田康典など】

コロナ危機によって聴覚過敏が悪化したので、毎日音楽をかけまくっています。

ブログに自分の好きな趣味音楽をアップしている人を見ると、「いいなぁ、私もやってみたい…」なんてスケベ心を起こして、こっそり好きな音楽を紹介。

発達障害とはなんの関係もない、ただの私の個人的偏愛趣味なので、興味のない方はスルーしてください・・・。

 

偏愛CDコレクション全体

f:id:amanekouko:20200508023312j:plain

 車の中にも10枚ほど。

 

上段:ゲーム音楽

上段がゲーム音楽すぎやまこういち光田康典伊藤賢治)。

f:id:amanekouko:20200508022926j:plain

 

生まれて初めて心から感動した音楽が、すぎやまこういちドラゴンクエスト・オーケストラでした。

リズム、ハーモニー、メロディーが織りなす音の世界。

 

これが音楽というものなのかーーー!!

 

と開眼し、クラシック、現代音楽、ロック、民族音楽となんでも聴くようになりました。

それにゲーム音楽は、何度も同じメロディが「繰り返され」ます。

「繰り返し」を好む私は夢中になりました。

最小単位のメロディーが何度繰り返されても、決して飽きさせない。

骨となる旋律に無駄がない。

それは、その曲が優れている証拠です。

優れたゲーム音楽「完璧」です。

 

一番好きな曲は「おおぞらをとぶ」 ↓


ドラゴンクエスト 3 冒険の旅 おおぞらをとぶ

 

中段:クラシック

中段はクラシック。

モーツァルトラフマニノフが好きですが、一番好きな曲は「ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」 ↓


Arvo Pärt Cantus in memoriam Benjamin Britten - Proms 2010

 

アルヴォ・ペルトエストニアの作曲家で、静謐な現代音楽を作曲しています。

この曲は「この世のものとは思えない静寂、いままで聴いたことのない純粋な響き…」とアルバムの解説にある通り、息を呑むほど鬼気迫る「静けさ」「祈り」が、鐘の音で表現されています。

棺桶の中にもっていきたい音楽。

 

下段:ハードロックその他

下段はハードロック、ポップス、民族音楽環境音楽、ヒーリングミュージックなど。

 

f:id:amanekouko:20200508023321j:plain

 


一番好きな曲の一つは ↓


[subbed] Dir en grey - The Pledge

 

dir en greyは「痛み」を表現するアーティストです。

昔、PTSDの知人から紹介されました。

子どもの頃、虐待された彼は、自分の心を表現できないため、dir en greyの曲でカタルシスを味わっていました。

彼の代わりにdir en greyが泣いてくれている、というわけです。

 

彼に書いた詩。

 

【記憶の鎖】

 

心の深手を背負ったまま

言葉を操り書くことも

歌うことも踊ることも

涙を流し悲しむことも禁じられ

空想の檻に閉じ込められて

記憶の中で自傷する君

人間らしさを奪われて

気が遠くなるほど長い年月

頭でさまよった反復の日々

どうかほんの少しずつでも

話してほしい泣いてほしい

表現を怖れず開いてほしい

冷凍した記憶を温かくほどき

溶かして再び生きてほしい

(『声・まっくら森』収録)

 

日本では、見目麗しく、心地よく、癒しとなるものが芸術として消費される傾向がありますが、本当の芸術は「いやったらしい岡本太郎」ものでもあります。

 

今はほぼモーツァルト

ここまで紹介してきましたが、CDコレクションの音楽は今、ほとんど聴きません。

図書館から借りてくるモーツァルト全集を、2年前から毎日聴いています。

ドライブ中はドラクエですが。

 

 モーツァルト音楽のクリアな波動は、心と体を鎮めます。

これがなければ生活できません。

最大の聴覚過敏対策です。

もはやモーツァルトの音楽以外、聴きたいと思わなくなりました。

 

Mozart: The Symphonies, Complete Edition

Mozart: The Symphonies, Complete Edition

  • 発売日: 2006/01/10
  • メディア: CD
 

 

 

……と思っていましたが、最近また光田康典を聴いています♪

 

www.youtube.com

 

うるさい! コロナストレス(2) 以前より厳しくなった日常

近所がうるさくなった

 

 この頃から、ゴールデンウィークや土日などの休日に聴覚過敏が悪化する法則に気づくようになった。休日は平日と違って、わさわさ動き回る何者かの気配がせわしなく、一触即発の空気に満ちている。身体じゅうの細胞は落ち着きなく、爆弾を抱えているよう。休日は私にとって避けなければならない鬼門だ。とくにゴールデンウィーク、夏休み、年末年始は、聴覚過敏の火種が発火する危険を孕(はら)んでいた。

『踏まないで! ―ある自閉症者の聴覚過敏手記― 第八章 病む記憶』

 

静かな平日の近所が「休める場所」だったのに、今は近所がうるさくなり、生活しづらくなりました。

散歩道には人があふれ、往路800メートルほどの距離で、約10家族(グループ)に遭遇します。

精神の健康を保つためには、それしか方法はないと、理解はしていますが。

私の精神衛生上は厳しいです……。

 

ただ5月5日あたりからグループが半減

外出自粛生活に慣れたのか、オンライン上で授業をやっているのか。

かなり楽になりました。

これならなんとか耐えられるかな……。

 

 

コロナ後近所がうるさくなった

 

 

会話「耳栓」をください

一番困っているのは、会話する機会がないことです。

これまである会で会話することで、聴覚過敏の対処になっていました。

毒をもって毒を制する。

ちょうど会話が、耳栓の役割を果たしていたのです。

しかし会は休止となり、私の健康上、厳しい状態が続いています。

友人が少ないため頼める人もなく……。

コロナ対策は万全にし、十分距離を取るから、誰か会話してください。

 

見えない困難

コロナ緊急事態によって、私の日常は以前より過酷になりました。

図書館が閉まっているのも厳しいですね。

 

命の危険はあるけど全世界に理解者がいる病気と、意識ある間、恐怖と苦痛が続く理解者がない病気

後者の方が、私には格段に苦痛で大変です。

 

roots-amanekouko.hatenablog.jp

 

 私が抱える見えない困難を可視化することに、意義があるかもしれないと思い、こうして記事を書きました。

 

現段階で、緊急事態宣言は解除の方向に進むそう。

ホッとしています。

これで少しは楽になれば……。

 

今はコロナ関係の社会問題があふれ、誰もが大変ですが、人に理解されづらい特殊な生きづらさを抱える人は、さらに自分との闘いを余儀なくされると思います。

可視化されず声を上げづらい困難を抱える人を、一番気にかけています。

 

 * * *

 

追記:2012年の過去記事を大量(13記事)にアップしました。

サイドバーからも読めます。

roots-amanekouko.hatenablog.jp

roots-amanekouko.hatenablog.jp

roots-amanekouko.hatenablog.jp