マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(15) 高校時代3 ファンタジーの終焉

 大晦日の深夜。親戚の家に一人でいた。

 あるアニメ映画が放映されていた。いよいよエンドロールが流れ、「物語の終わり」が訪れようとしていた。

 それは、死を予感させた。胸を締めつける恐怖が、心に爆発した。

 

 むきだしの存在不安、そして死の不安。

 

 梶井基次郎が「檸檬」の冒頭で、「えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか――」と書いたが、同じ心境の。

 

 アニメの「物語」を通じて私が見たものは、「永遠の純潔なるもの」だった。若く完璧なヒーローが、完璧なヒロインを愛する。それは美しい青春だった。

 未熟な自我がそういう境地を目指しながら、手に入らないその「完璧性」に、私はおののいた。

 百かゼロか。〈カイザルかしからずんば無(前掲書、二八頁)〉。

 それは、私の死を暗示するようだった。私が見たものは、死の深淵だった。

 

 

発狂

 

 

〈精神の規定のもとに立つ実存は(たとい自分だけの責任においてある場合でも)いずれも本質的に自己自身のうちに一貫したものをもっており、またあるいっそう高次のもののうちに(少なくともある理念のうちに)その一貫したものをおいている。

 

けれどもまた、このような人間は、一貫しないすべてのものを、無限に恐れる。

 

というのも彼は、自分の生命を託している全体から自分がもしや切り離されることがありはしないかといったような万一の結果について、無限の観念をいだいているからである。

 

すこしでも一貫しないものがあれば、それは彼にとって恐るべき損失である。それはこの一貫したものが彼から失われることになるからである。

 

そして、その同じ瞬間に、おそらくは魔法が解け、いっさいの諸力を調和させていた不思議な力がその魔力を失い、全体がおそらく混沌と化し、そのなかで諸力が反乱をおこし互いにせめぎあうことになるであろう。

 

(中略)一貫していたときにはその鉄のような強さにもかかわらずきわめてしなやかであり、その力にもかかわらずきわめてやわらかであったこの巨大な機械が、いまでは狂ってしまったのである。機械が優秀であり大きいものであっただけに、その混乱はいっそう恐るべきものである。一貫した善のうちに安住しそこにその生命を託している信仰者は、それゆえに、いささかの罪をも無限に恐れる。

(前掲書、一五三~一五四頁)〉

 

 

 思えば、「物語の終わり」は、私の神であり世界である、ファンタジーの終わりだった。純潔なるものは、そこに至れない、精神の死だった。

 二つの破滅は、〈世界〉という「巨大な機械」に亀裂を入れ、錯乱と混沌の渦に、私を突き落とした。

 

 アニメを見た翌日、金切り声を上げ、発狂した。

 誰もいない親戚の家で、折り畳んで積んである布団の上を、絨毯を転げ回り、頭を振り乱して、暴れた。文字通り、のたうち回って。

 不安発作だった。絨毯にダニがいたらしく、全身ボコボコに腫れた。