minority sense

天寧煌子の作品基地 自閉スペクトラム症に関する散文・息抜き雑文/詩/その他絵

ほおずき

楽しいってなんだ? 変化を楽しむ者と常同環境を突き抜ける者

「楽しい」は今生まれ、消える

楽しいことがあった日、忘れないよう小説に書いた。

小説を読み返すと思い出して、心が温まるが、視覚的な手がかりがない状態だと、記憶がぼやけていく。

私の場合、目に見える手がかりがなければ、楽しいことであっても、忘れやすいかもしれない。

 

楽しいことは「今この瞬間」生まれ、消えるものであって、あまり残るものではない。

アルボムッレ・スマナサーラ氏がいうとおり、感覚は苦であり、それが生命を覆っている。

十代の頃、苦を駆逐する楽を見出し得ないのを発見した。

どんな「楽しみ」も、「苦しみ」にはかなわない。

「安らぎ」であれば、「苦しみ」を多少打ち消すことができる。

しかし、「楽しみ」にそのような力はない。

「安らぎ」は生の "打ち消し" (-)だが、「楽しみ」は "盛り" (+)だ。

生は(+)だ。プラスにプラスをかけると、業は増加する。

「楽しみ」に効果があるとすれば、心と頭を回転させることで、嫌な記憶を忘れやすくなることだ。

そのことが「安らぎ」をもたらすなら、マイナス(ー)は増加するだろう。

 

楽しい瞬間は私にもある。

たとえば今日、発達障害のイラストを描き上げた時、「これがあれば発達障害のことを人にわかってもらえるかもしれない」と嬉しかった。ホッとした。

その瞬間、ワクワクしていたのかもしれない。

今でもこの絵を見ると、心が温かくなる。

昨日は、とある本にツッコミを入れながら思考しているうちに、「こういう考え方をすれば、問題を解決できるかもしれない!」と嬉しかった。

それは、ワクワクとはいえないまでも、心のテンションが少し上がる出来事だった。

 

「嬉しい」「やったぁ」と思うことは多々あるが、「楽しい」感情とは違うのかもしれない。

今は鬱なので、楽しくなくても、「苦しくない」瞬間があるだけでありがたい。

 

「楽しい」のは "今" だ。

過ぎ去れば虚しい。儚く消滅してしまう。

楽しい瞬間は確実に存在する。

しかし、感覚の苦がそれを塗り替える。

私にとって「楽しい」は虚妄(だがその瞬間は現実)で、「苦しい」が現実。

 

本を読んでいると、「わかる」とひしひし感じることがある。

その瞬間は楽しい。楽しいというより嬉しい。

しかし、鬱で再び文字が頭に入らなくなって、理解の通路が閉ざされる。

その瞬間は苦しい。

そして私は、どちらの瞬間にもリアリティを感じているが、「楽しい感じを思い出す」ことはあまりないのかもしれない。

思い出しても、記憶が煤けているようで、生き生きしていない。

 

 

鬱が「楽しい」を奪う

今は鬱だ。考えてみると、このような状態で考えるから、このような発想に傾くのかもしれない。

鬱時に書いた文章だから、後ろ向きな文章になるのであって、「楽しい」時に考えると、また別の発想が生まれるかもしれない。

 

鬱が前面に出ると、どうしてもそれが強力な感情になってしまって、「楽しい」思い出は煤けてくる。

心が「楽しい」を想起できなくなる。

 

鬱が楽しむ能力を阻害している面が大きい。

鬱になると、心の活力は確実に失われる。

私の場合、鬱に陥るのは、対人関係と環境変化の不適応が大きい。

私は、変化に強いドナ・ウィリアムズとは違って「同一性保持の欲求」が強い。

変化に非常に弱く、環境が変わるたびに鬱に突き落とされる。

 

 

楽しみは変化の中にあるのか?

ドナには「変化に乗じる」余裕がある。ADHDの人も。

変化にさほど衝撃を受けず、恐怖を覚えず、むしろ楽しむ。

楽しみとは、変化に乗じることができる人が持ちやすい感情かもしれない。

環境変化に激しく動揺する私のような人間は、楽しみづらいのかもしれない。

 

変化のない、いつまでも同じことを繰り返す営みの中で、楽しみを感じられるか?

常同環境は、楽しみというより安心である。

いつもと同じという安らぎ。

私が楽しいと思う時は、行きつけの本屋をうろついている時のように、「常同環境から隣にズレるように少しだけ変化」している時が多い。

 

そう考えると、楽しみの要件は変化なのかもしれない。

変化しても衝撃を受けない、臨機応変に対応できる、変化を楽しめる人が羨ましい。

とはいえ、変化に衝撃を受けるのが私なのだから、変化に強いドナのような私でありたい! と望むわけにはいかない。

 

 

常同環境を突き抜ける能力

しかし、常同環境に安らぎ、さらに突き詰める者は、変化する者にはない力をもっている。

それは、「裏面へ突き抜ける」能力である。

 

裏面というのは、この世にはない「向こう側」の世界だ。

ゲームや漫画でよく裏ステージとか、パラレルワールドという。

ブラックホールは突き抜けると、ホワイトホールにつながっているというイメージ。

 

変化は手回し発電機のように、解放されたエネルギーを生み出す。

一方、停滞は? 停滞は多くの場合、虚無だ。

しかし、その場に留まり続けることで、手回し発電機が生み出す遠心力とは逆の求心力が発生する。

そして求心力がこの世界の根底を突き破った時、どこにもない裏世界が出現するのである。

 

私たちが見ているのは、砂時計の中心のくびれから上の領域である。

しかし、世界には裏がある。砂は、少しずつ、下の領域へも流れている。

さらに世界には、表裏もあれば、「間」もある。

聴覚過敏にホワイトノイズサウンドマシンは効くか?

ついに、聴覚過敏者にとって憧れのグッズを購入しました。

その名も、ホワイトノイズサウンドマシン。

 

1週間使った感想を述べます。

 

 

…ムヒ?

以前から、ピンクノイズ(あらゆる可聴周波数帯域が均等な音圧で含まれているノイズ。ホワイトノイズよりもざらついて聴こえる)のCDが欲しいと思っていました。

いつもは目の前にCDコンポを置いて、モーツァルトピアノ曲で雑音をマスキングしていましたが、本物のピンクノイズ・ホワイトノイズがあったらいいなあと。

アマゾンで探してみたところ、偶然、見たこともない次世代機器? を発見し、目がハートになったので、勢いで購入。

 

ホワイトノイズマシン

 

とりあえずムヒ(虫刺され、かゆみの治療薬)のスポンジっぽい。

音を出す部分の見た目が。まあ見た目はどうでもいいのですが……。

このムヒ似スピーカーから音が出ます。

 

いいなあと思ったところ

第一印象は、まずまずGOOD!

買ってよかったと言えるでしょう。

いいなあと思ったところは、以下の点です。

 

  • 音質がよい
  • いろんな音があって、好きな音を選べる(10種の自然音、7種のファン音、7種のホワイトノイズ)
  • 意外にファン音が使える
  • 音を大きくしたり小さくしたりできる
  • 機器の見た目がシンプルでよい
  • 操作がシンプルで使いやすい
  • タイマーがついている
  • 充電すると長くもつ(正確に計っていないが、すぐにバッテリーが切れることなく、長持ちしている印象)

 

私的に、音質がよいことが好印象です。

ノイズでも「綺麗なノイズ」なんです。

 

一つ一つの音を検証

音の感想を一つ一つ述べていきます。

 

● 自然音-1 小鳥のさえずり

自然音のCDをもっているので、本格的なものにはかないません。

ほどほどに心地よい。スルー。

 

● 自然音-2 海の波打ち

自然音のCDをもっているので、本格的なものにはかないません。

本格的な自然音のほうが迫力があります。使わないと思われます。

 

● 自然音-3 川のせせらぎ

自然音のCDとリラクゼーション本付きCDをもっているので、本格的なものにはかないません。

音の繰り返しが自然でうるさくないです。

 

● 自然音-4 母の胎内

不気味すぎる(笑)

ボウッ、ボウッ、ボウッと血管が脈打つ音が延々と……。

ホラーゲームの効果音のようです。

誰が聴いて癒されるんやコレ?

 

● 自然音-5 睡眠オルゴール

可もなく不可もなく。

オルゴールCDももってるけど、それよりははるかに単純な曲で、意識の邪魔にならず使えそうではあります。

オルゴールにしては退屈。音楽もつまらない。

モーツァルトが聴いたら「こんなの音楽って認めねーよ!」と鼻で笑いそう。

けれどもシンプルで、意識に「オルゴールが流れている」と感じさせないさりげなさ。

あなたの意識優先ですよ! と言わんばかりの立てる妻っぷり。

あまり単調すぎて、たしかにこれは寝るかもしれません。

 

● 自然音-6 虫の鳴き声

イイ感じで、綺麗で、落ち着くけど、微妙に機械で合成した感がうるさい。

虫、何種類おるんや。こんなに鳴かんだろう!?

 ハマればハマる可能性有。

 

● 自然音-7 夏の雨と雷

これも本格的な自然音CDにはかなわないけど、邪魔にならない音で心地よいです。

 

● 自然音-8 焚き木(たきぎ)の音

パチッパチッと薪がはじける心地よい音です。

自然の中にいる安心感があり、落ち着きます。

リラックスミュージックとしてはいいけど、ホワイトノイズとして使えるかどうか疑問。

 

● 自然音-9 時計の振り子

チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、……と、おじいさんの古時計がゆったりした時を感じさせます。

昭和の香り。ヨーロッパの童話。

別世界にワープしたよう。素敵。

でも夜中に聴くと怖い。

これもホラーゲームの効果音と同じ。異世界度は抜群です。

お気に入りだけど、騒音かき消し効果を満喫する前に、聴き入ってしまいます。

 

● 自然音-10 汽車の音

汽車じゃなくてフツーの電車や。

どう聴いても汽車の要素ゼロです。

ポゥワ~って汽笛の音ぐらい出してほしかった。

聴いていると心地よく、時間を忘れます。

電車ファンにはたまらないかもしれません。

 

● ファン-1

意外にこれは! と感心。スッと身体になじみます。

ホワイトノイズに似ているけど、自然音とまではいきません。

自然に意識の奥に入ってくる音で、さりげない人工音。

異世界度は抜群で、別世界に入り込んだよう。

ホラーゲーム「サイレントヒル」の効果音のような。

不気味さと静謐さをあわせ持つ、非常に不思議な印象を与える音。

ホワイトノイズと同じように使えそうです。

 

● ファン-2

ヘリコプターのような、工場のような、ファン-1より人工を感じさせる音。

現代的で少し冷たい印象。しかし、作業の邪魔になりません。

 

● ファン-3

ファン音なのに、ホワイトノイズに近い。騒音のマスキングとして使える音。

ファンにこんな音があるんだと驚きました。

 

● ファン-4

自然な人工音。効果的なホワイトノイズ。

ファンにこんな素敵な雑音があったとは。

単調、でもそれがいい。

 

● ファン-5

車の走行音のような、人工的なノイズ。

ザーッと流れるような、綺麗な雑音。

 

● ファン-6

ピンクノイズに近いファン音。

ラジオの周波数が合わない時にザーッと鳴る雑音のような。

単調だけど、使えそうです。

 

● ファン-7

落ち着く人工音。トンネルの中を走っているような。

ストーブやヒーターの音に似ている(多分ストーブのファン音)ので、寒い時に暖房に当たっている錯覚が得られます。エアーストーブ。ふと気づけば足元が寒いです。

 一番お気に入りかもしれません。

 

● ホワイトノイズ-1 ピンクノイズ1

基本のピンクノイズ。雑音らしい非常に綺麗な雑音。素晴らしい。

誰が聴いても作業の邪魔にならないでしょう。

 

● ホワイトノイズ-2 ピンクノイズ2

ピンクノイズ1よりざらついた雑音。

意識にのぼらない、中立的な音。

 

● ホワイトノイズ-3 ピンクノイズ3

ピンクノイズ2よりもっとざらついた雑音

騒音をマスキングする効果は高いでしょう。

 

● ホワイトノイズ-4 ホワイトノイズ1

ピンクノイズより音域が高くなり、滝の音のように聴こえます。

誰の耳にもなじみそうな雑音です。

 

● ホワイトノイズ-5 ホワイトノイズ2

ホワイトノイズ1より音域が高くなり、雑音かき消し効果は高いかもしれません。

 

● ホワイトノイズ-6 ホワイトノイズ3

ホワイトノイズ2よりさらに音域が高くなり、雑音かき消し効果はさらに高いでしょう。

少しうるさく感じ、聴き続けようとは思いません。

 

● ホワイトノイズ-7 ブラウンノイズ

ホワイトノイズよりさらに音域が高くなり、川の上流の音のよう。

清潔な印象でうるさくないけど、少し尖った音。ピンクノイズのほうが落ち着きます。

 

今使っている音と感触

音域が低すぎると雑音を打ち消す効果は低いし、高すぎるとずっと聴いていられない。

音楽を感じさせるとそちらに意識が集中してしまうし、単調さが際立ちすぎても飽きが意識にのぼってよくない。

ほどほどに単調で、ずっと聴いていても聴いている感じがしない、ピンクノイズファンの低音がいい感じです。

ファン7を聴く頻度が一番高いです。

 

ブログ更新のような、気を抜いていてもできる作業をしている時は、ホワイトノイズマシンをかけていると、いつの間にか音の存在を忘れてしまいます。

しかし!

集中を要する作業をしている時は、ホワイトノイズマシンをかけても、やっぱり耳栓をつけてしまう・・・。

 

ホワイトノイズマシンだけでは物足りず、音楽だと作業の邪魔になり、イヤーマフだと耳が痛く、耳栓をつけすぎると聴覚過敏が悪化する・・・。

使い分ける、併用するのがいいです。

 

まとめ そばにある安心感

マスキングしたい騒音をカバーする位置に置いて、

騒音から私を守ってね!

と念じて使うだけで、

ホワイトノイズマシンがそばにある安心感

が得られます。機械といえど侮れぬ安心感です。

これだけでも買った価値はあります。

効果は「劇的」というほどではないけど、ちゃんと、ほどほどにはあり、すでにムヒ似スピーカーをナデナデしたい愛着が湧いています。

ヒキコモルートアドベンチャー 6(終) 赤い俊足ついに現る

 ようやく巻き上げた先は、赤い俊足の家の近所であった。彼がいつも通り三時一〇分に家を出るのなら、ここらではち合う可能性が高い。しかし、気配がないところをみると、やはり先ほど堤防で出くわした赤い影は本物か?

 

 ここにとどまっていては危険だ。僕はくるりを背を向けて、堤防沿いの小径を引き返した。

 

 もうしばらく春は続きますよ、と散った桜は語っているのに、すでに夏のような熱気が漂っている。暑さのためか、先ほどの熾烈な攻防のためか、頭の奥がじんじん痛む。

 

 もしかしたら、赤い俊足はいつも通り三時一〇分に家を出て、今頃背後を歩いているのだろうか? あの赤い人影は、全部僕の妄想だったのだろうか?

 

 再び小学校の運動場に差し掛かった。

 その時、川を跨ぐ橋の上を素早く移動する赤い人影が目に飛び込んできた。やはりあいつだった!

 

 僕はとっさに、なあんにも見ておりませんと素知らぬふうを装って、奴にはそうと気づかせぬよう、だが視界から確実に一歩一歩離れるように、往路で会得した忍者の術を駆使して、スゥーッと気配を殺して移動した。

 

 僕は毎夏、ユニクロで調達した蛍光色のウォーキングウェアを着て散歩する。赤い俊足に劣らずどぎつい原色だ。ユニクロの体操着は、汗を吸収しても肌にサラサラの使用感を与えてくれる、現代の科学技術が結集した優れ物である。

 

 もう少し汗ばむ季節になると、例年通り、この秀逸アイテムが店頭に登場する。今夏は、派手色を入手するのは控えよう。蛍光カラーでは遠くから容易に発見されてしまう。僕の姿を悟られてはならない。白無地の、できるだけ目立たないウォーキングウェアを新調しよう。いや、背景の並木道に違和感なく埋没する緑色がいい。いっそ迷彩服にしてはどうか。

 

 そんなことを考えているうちに自宅に到着した。四月なのに汗だくである。異種間戦争と忍者戦法を展開した興奮のあまり、やけに首筋が凝っている。ピップエレキバンをツボにペタペタ貼り、磁気ネックレスを装着して、冒険の疲れを癒す。

 

 まったく散々な目に遭った。往路たった五百メートルだが、今日の散歩はハードだ。今後も僕の神聖なるヒキコモルートを死守できるのだろうか。

(終)

 

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ヒキコモルートアドベンチャー 5 ユスリカ蚊柱の死闘

 すると今度は、ユスリカの大群が待ち構えていた。

 

 春のユスリカときたら、一匹一匹は三ミリほどの昆虫でありながら、何百何千と隙なく白煙のごとき蚊柱を巻き上げる壮観は、じつに威圧的でおぞましい。コイツらは、そのか細く透明な図体で、一体何を食して生きているのだろうか? 文字通り霞でも食っているのだろうか?

 

 ユスリカの白煙に突っ込むと、双方泣きを見るのは必至である。突っ込みたくはないが、狭い散歩道を陣取られているものだから、通過しないわけにはいかない。

 

 一匹が目の中にダイブしてくる。小昆虫にとって眼液は毒らしく、即死である。即死とはいえ、死ぬまでに十数秒の間がある。そいつは息絶えるまで虚しく四肢をばたつかせ、だんだん動かなくなるのである。死の瞬間のリアルが目の前で、というよりじつに迷惑なことに、目の中で繰り広げられる。

 

 なぜお前は突撃先が自分の死とわからないのだ!

 

 ゴリゴリ、ゴリィッと僕の脳内音とともに、憐れな特攻者の足がもげ、霞のような肢体が眼液に溶解する。目の外にはみ出たユスリカの足を一本一本取り除きながら、僕は泣きそうである。お前はバカだ。ああ、死骸が眼球を転がる生々しい感触がなんともいえずホラーだ!

 

 そのような無益な死闘をなんとしても避けたくて、帽子を目深にかぶり、横を向き、目線を真下に落とし、目を仏像のごとく半開きにして、そろりそろりとカニ歩きでユスリカの白煙をやりすごした。右手は顔の前を何度も払い、左手を帽子の鍔(つば)に添えて庇(ひさし)を延長する。

 

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 どうやら無事通過したらしい。

 うっすら目を開くと、どこまでも白い点々が追ってくる。しつこい奴らだ。まさか僕の呼吸を察しているとでもいうのか!? なんという恐るべき好感度体表センサー霞の奴、ホコリだか煙だか、生物だか無生物だか見分けがつかないくせに、侮れない生命力を持ってやがる。

 

 僕は呼吸を完全停止して、カニ歩きしながら歩を速めた。

ヒキコモルートアドベンチャー 4 異種間戦争

 その時だった。

 

「うおっ、なんだこれ!?」

 

 細長くてクネクネした灰色の何かが光っていた。体調五十センチ以上あろうかというガタイの立派なが、頭だけを草むらに突っ込んで、胴体の三分の二を堤防道に晒していた。

 

 僕は冷や汗をかいて硬直したまま片膝をついた。

 

 ――待てよ……。これはまたとないチャンスだ。

 

 僕は恐竜という古代の神秘を骨から皮膚までこよなく愛していた。常日頃から爬虫類の形態に関心があり、鱗の形を調査するべく図鑑を眺めていたのである。

 

 蛇の腹にそおっと顔を近づけた。鱗の一枚一枚は尻尾へ向かう先端が四角く尖っている。粘液を含んだ皮膚は、陽光を受けて鋭く反射している。

 

 三竦みならぬ二竦みというのか。蛇も僕もお互いを意識したまま身じろぎしなかった。僕は膝の着地点を固定して、上半身を少しゆらゆらさせてみた。しかし、蛇は動かない。

 

 今まさに生命の気といおうか、目に見えない波動が生じている。この凍りついた空気。

 奴は気づいていながら、死んだフリを装っているのかもしれない。ボクは人畜無害ですという顔をして、必殺兵器の牙を一発お見舞いしてやろうと、一瞬の隙を窺っているのかも。牙が毒入りだったらタダでは済まない。人間に体の大きさは劣る小動物といえども、断じて油断は禁物である。

 

 いきなり顔めがけてジャンプしてきたらどうしよう? 僕の乏しい運動神経でガードしきれるだろうか?

 

 シミュレーションしてみよう。

 まず右腕を前に突き出し、急所を擁した胴体の盾とする。蛇は何か障害物きたとばかりシュルシュル巻き付く。次に、左腕で念入りにガードプラス。完璧だ。

 ――と、その時、右腕と左腕が交差したわずかな空隙から、爬虫類の最終兵器を搭載した邪悪な頭部が、ホモサピエンスの無防備なつるつるした顔をめがけて直撃する! いけない、顔はいけない!

 

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 僕の内なる想念と多大なる葛藤を知ってか知らずか、蛇はスルリと草むらに体を滑り込ませてしまった。

 

 ――ふーッ。助かった……。

 

 僕もさりげなく後ろへ下がった。絶妙のタイミングで、爬虫類とホモサピエンスの異種間戦争は回避された。お互い大事に至らずに済んだ。よかったよかった。

 多人数で集まってワイワイ食事をする難しさ

 みんなで集まってワイワイ食事をする。鉄板プレートのランチをつついて。

ふつうの人にはなんでもないその光景が、私には、サーカスで曲芸をしているような難しさを感じさせました。

苦手な雑談。共感できない話題。時々理解できない話しことば。

自分を操りながら、みんなに「合わせる」曲芸に、全意識を集中して――。

一瞬のバランスに、心の中で、冷や汗を流していたのです。

以下の詩は、その時に詠んだものです。(七、五と韻を踏んでいます。)

 

 

  *  *  *

 

 

【鉄板上のアクロバティック】

 

鉄板踊る食器たち

小皿に溶けたチョコの海

フォークの行く手吸い上げた

さざめく口の揺れ笑い

熱せる鉄の上満ちる

いともたやすき午後の劇

ひとり冷や汗滴りて

見えぬ火の輪の綱渡り

 

鉄板踊る食器たち

小皿のチーズ方々に

フォークの先の味模様

華やぎ声の時交いて

熱せる鉄の上に張る

いともたやすき天幕に

うめく白杖地に鳴らし

人目絶する曲芸師

 

鉄板踊る食器たち

小皿もそろそろ底尽きて

フォークの思いかまびすし

ランチひろげる祭り気の

熱せる鉄の上に舞う

いともたやすき軽業に

危なき仕事乗り切らん

暗がり影の離れ業

 

(2017.3.14 『声・まっくら森』収録)

ドナ・ウィリアムズ『自閉症という体験』との対話 1 死者だからコミュニケーションできる

 20年前、自閉症だったわたしへ』という本 ↓

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

 

を読んで、この人は自分のようだと感じました。実際、違ったところは多々あるのですが。それからずっと、ドナに特別な親近感を抱いてきました。

 

 最近になってようやく自閉症という体験』を読みました。それは、人生観を変える衝撃の内容でした。

自閉症という体験

自閉症という体験

 

商品の説明amazonから引用)

内容紹介

本書は自伝ではない。著者自身である自閉症者の内的世界を独特の文章で描写している。発達障害のなかでも理解されにくい自閉症者の感覚について「自閉症」の体験という言葉で語っている。「自閉症」というレッテルを貼って自分たちと差異化し、理解できない存在として片づけようとする私たちに彼らの豊かで驚くべき世界を広げてくれる。ドナによって私たちは未知の世界の扉を開くことができる。

内容(「BOOK」データベースより)

本書では、人が生きるにあたって使う二つのシステム、“感覚システム”と“解釈システム”について語られる。人は成長過程において“解釈システム”を重要視して“感覚システム”を根絶やしにしてきた。自閉症の人びとは“感覚システム”を失っていない人びとである。彼らの在り方こそが社会を荒廃から救い、再生へと向かわせる道標になるだろう。“感覚”と“解釈”の両システムを調和させ、よく使い分けられることが社会生活の真の豊かさにつながり、その実現に最も重要な役割を果たすのが、藝術行為であることが説かれる。

 

 読み終える直前、ドナについて調べているとき、偶然「ドナ・ウィリアムズ 死亡」という検索ワードがスマホ画面にひっかかりました。今更ながら、二〇一七年に、精霊のようだったドナが、肉体の死を遂げたということを知りました。

 悲しく、寂しくて……。

 今からでも亡きドナに会いたいと思いました。そのためには、ドナに語りかけるほかありませんでした。だから詩を書きました。ドナの死が、時空を越えた私とドナの再会となりました。

 

 この本を読んで、生前のドナより死後のドナに、より親近感を抱くようになりました。

 私はずっと、コミュニケーションがうまくいかないことに悩んで生きてきました。ドナは、死んだ飼い猫とともに、死者とのかかわりを教えてくれました。人間は、死んで肉体を失うからこそ、魂は自由になり、生前とは違った精神的結びつきを可能にするのだと。相手が死者だから可能になるコミュニケーションがあるということを。

 

 

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【終わりの始まり】

   ―ドナ・ウィリアムズに贈る―

 

 

あなたを知ったとき

わたしと思った

あなたはわたし

 

それから

あなたの示したわたしを探しに

旅立っていった

遠くへ 遠くへ……

 

わたしがわたしになる

大地を見つけたとき

わたしを知らない

あなたに橋を架ける

明日がくるかもしれないと

道を急いだ

 

険しく終わりのない風雪は

歩む足をとどめた

休息の天幕で

あなたを呼び寄せなかった

色彩が染みるから

 

旅はどうにか道半ばまできた時

何かが光った

あなたの至高の結晶が

姿を顕したのをわたしは見た

遂にわたしは知った

あなたはわたしではない

違うということが

わたしの現し身だった

 

ちょうどその時

一陣の知らせが吹いた

あなたを呼び寄せなかった日

あなたはいなくなっていた

すでに 橋を架ける前に

永遠に

 

あなたの遺言は

わたしを象っている陰影を照らした

あなたにはなれずとも

わたしは陰影を描き出すだろう

もう橋は架けられない

そのことが橋になる

あなたはもういない

そのことがわたしとあなたの

始まりとなる

 

ドナ わたしはまだここに……

ドナ わたしはまだここから……

(2019.1.19)