マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(10) 中学時代4 人間への違和感

◆人間への違和感


 ほとんど同じ時期、もう一つの、鮮烈な自己意識が芽生えた。


 毎日、中学校の校舎で、楽しげに笑う中学生の群れを見ていた。私の眼は、虚ろだった。


 強烈な違和感があった。


 みんながなぜ笑っているのかわからない。みんなと同じように感じない。なじまない。そぐわない。何かが違う。……


 同級生だけではなかった。気づけばきょうだい、親、親戚、テレビの中の人にまで、人間全てに違和感があるのだ。縦長のガラスの円柱から世界を眺めているようで、目の前の現実から隔てられている。

 

 

人間への違和感

 



 赤ん坊を抱く母親、結婚式のカップル、校舎で青春を満喫する中学生。――人間社会に溢れる、いかにももっともらしい幸福の空気は、死の深淵に見えた。

 

〈人間的にいえば、何ものにもまして美しく愛らしい女の若さ、ただただ調和であり、平和であり、喜びであるこの若さすらも、絶望でしかない。若さはたしかに幸福である。しかしそのずっと奥のほうに、深く隠された幸福の秘密のおくそこに、やはり不安がひそんでおり、絶望が巣くっている。絶望がこのんで巣くうのはそういう所、幸福のまっただ中においてである。

キルケゴール『死にいたる病/現代の批判』、一九九〇年、白水社、三八頁)〉