マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

『踏まないで!』第11章 味方を求めて

※この記事は、現在執筆中の聴覚過敏手記『踏まないで!』の一部分です。

 第11章(600頁分)のうち、最後の章です。

 

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    1

 まだ梅雨は明けていなかったが、一時、雨はやみ、梅雨闇と呼ばれる薄暗い曇り空が視界を覆っていた。二〇一九年七月上旬のある日、一年ぶりにハローワークへ出向いていった。旭(あさひ)さんの相談を予約していたのだ。

 

 庁舎には昼三時前に到着した。一階のフロアを埋め尽くしている求職者の混雑具合は七割といったところで、総合受付の前では、ハローワークらしい労働への熱気が漂っているが、ガツガツと鬼気迫った雰囲気という感じではなく、求職者の心に少しばかり余裕が感じられなくもなかった。

 

 求人検索の待合椅子で待機していると、出口の方角から旭さんがせわしなく歩いてきて、軽く挨拶(あいさつ)を交わしたあと、かつてTKデザインの面接で使用した会議室に通された。二台の長机が向き合わせに並べられ、私は下座に、旭さんは上座の窓際に座った。

 

 二〇一八年初夏、旭さんにこの手記第一章の一部に目を通してもらう機会があった。そのとき彼は、的確に私の文章の弱点を剔抉(てっけつ)した。旭さんは手記に正確な意見を寄せることのできる適任者の一人であると、勝手に思い定めていた。

 

 自己の中心に座標軸をもっているかのような最小限の動きが、旭さんの長身に静かな落ち着きをもたらしている。それに加えて、ハローワークの激務に身も心もフラットに均(なら)されているかのような、職業相談員としての役職がもたらす消すに消されぬ仮面が、旭さんの表面を覆っているように見える。なじみの相談員のうわさ話を共有するときに、一瞬凪ぐ心の波動が、こちらの心の岸辺にまで吹きつける気配もないぐらい、相変わらず冷静沈着な佇まいで、微動だにせず座っている。

 

「旭さんはなぜ異動したんですか?」

 

 と私は近況を伺った。彼は前年度まで担当していた障害者就労窓口から離れて、職業相談部門に異動したばかりだった。

 

「人事異動。希望したわけじゃない。いまは第二部門の統括。一は欠員。でも給料は二人分出ない」

 

 とこぼして、旭さんはやっと笑みをみせた。

 

「じゃあ、一般求職者の対応をしているのですか?」

 

「そう。だから三〇分という短い時間で」

 

 ハローワークの 〝最前線〟 から離れて、わざわざ働けない人間の生活を支援するために、こうして時間を割いてくれている……。相談のブランクあって張り詰めていた緊張感が、少しずつ解(ほぐ)れてきた。

 

「きょう来た目的は――」

 

 かつて旭さんに教わった言い方で私が話を切り出すと、旭さんはかすかに姿勢を正し、その目に意思の光が宿った。

 

「手記を読んでもらいたい。それに尽きる」

 

 ですます調でなく、思いが前面に出るあまり多少ぶしつけなトーンになってしまった口調で私は断言し、「きょう、もってきたんですけど」と敬語に戻しながら、手記の冊子が入った茶色い紙袋に手を伸ばし、ゴソゴソと中身をとり出した。

 

「もってきたの?」

 

「はい」

 

 やっと目的を果たせる 〝晴れ舞台〟 が準備された。これがやりかったんだとばかりに、少し得意にもなって、ハローワークに出向く直前まで書き進めていた、第十一章までの原稿が綴られた冊子を、

 

「一章は××で、二章は××で、三章は××で……」

 

 と、章ごとに一言でストーリーを要約しながら、順繰りに長机に広げていった。長机は一面、並べられた冊子で埋め尽くされた。

 

「天寧さん、苦手なことにチャレンジしようとして。突き詰めて、自分を追い込んでいって」

 

 旭さんは大仰に感心するでもなく、呟くようにポツポツと言う。やっとお披露目できたとつい興奮して畳み掛けてしまった、さっきの抑揚の強い私の口吻に惑わされることなく、常にありのまま目の前の対象を受け止め、観察している様子が窺(うかが)える。

 

    2

 

「内容は非常に重い」

 

 長机に広げた冊子を見やり、私は真面目くさって強調した。このポイントはぜひ伝えておかなければ、という決心をもって。「比佐間(ひさま)さんがさじを投げるほどに、重い」

 

 精神××センターの相談員スダさんが第八章までに目を通して、何度も「重い」と指摘した。この言葉を聞いて、「そうか」と思い当たることがあった。

 

 発達支援センターの森さんはさじを投げ、安郷(あんごう)さんは「発達障害と、精神障害と、宗教哲学と、人間の業が病気となって折り重なった問題。自己肯定できないのは自己確立していないせい」と私にちゃぶ台をひっくり返し、精神科医をして「重いのを受け止めることができないから、あなたのせいにした」と言わせた。

 

 私自身は、この「重さ」によって、心の病気、身体の病気、あらゆる病気と障害に見舞われ、文字どおり命を磨り減らした。そして最後に何が残ったか?

 

 minority sense、この重い十字架。

 

 minority senseがブラックホールのような重力となって、私の「重さ」を形成した。それは重かった、誰にとっても、自分にとっても――。

 

 高木さんの助言を実践して、私は自分ではない「あなた」に問いかけよう。もしあなたがブラックホールのような「重力」を抱えてしまったら、どうするだろうか? あらゆる病気と障害を背負い、そのために人に遠ざけられてしまったら? そして「助けて」という言葉すら、封じ込められてしまったら? 「そんな私」を生きることはできるだろうか?

 

 あなたは「重力」を遠ざける。誰だって遠ざける。けれどもあなたが「重力」自身だったら? あなたがブラックホールそのものだったら? そんなあなたを生きることはできるだろうか? あなたはあなた自身の「重力」によって、命を磨り減らしていくだろう。そんな自分に耐えることはできるだろうか?

 

 だから私は、結局、この重い十字架を手のひらに載せて、「これは何だ」と哲学するしかなかった。そして、「これは何です?」と読者に問いかけるしかなかった。

 

 朝日新聞二〇一九年七月五日「折々のことば」にて、鷲田清一磯田光一の言葉を引用している。

〈文芸批評家はこう書いた。「虚栄」以外に残るものがないのなら、この「絶望の意味を問う」ところまで立ち戻るしかないと。『戦後批評家論』から。〉

 

 旭さんは半跏思惟像のように動じない。「重力」のもたらす悲劇について、その世界を見てきたという目でもあり、人生の辛酸を嘗めてきた経験が、いまさら何も驚かないと感情の風雪を身軽に吹き消しているふうでもある。

 

 しかし、反応がないというのとは違う。表情とか、身振り手振りとか、表面に表れる彼の様子は極めて微細な変化でありながら、心の運動は正確に対話の〈彼方〉と〈此方〉を往復して、必要なものを橋渡ししている。

 

 旭さんのそんな姿に鎮静させられる気がして、根拠は明確でないながらも、大丈夫と確信した。もう一度、訪問に至った目的をていねいに言い直した。

 

「Jワークスである体験をして、現在の状況に至るまでを書きました。できれば通して読んでいただけないでしょうか? きつくなったら飛ばし飛ばしでも。旭さんの仕事の負担にならないペースで」

 

 そして、ついに、

 

「旭さんの 〝目〟 が必要です」

 

 と、伝えたかった核心を口にした。そもそも、旭さんの眼識を必要としているから、明確な意思をもってハローワークに来たのだ。

 

 それから原稿を差して、いくぶん自虐的に「でもこれ、『呪い』のようなものですけど……」と、高木さんから賜った「予言」を再現して謙遜すると、彼はそのやりとりを実際に見聞きしたわけでもないのに、すぐに真意を察して、

 

「叫び。もがき」

 

 と端的に的確なキーワードを引っ張り出してくる。

 

 押し殺していた悲痛な思いが込み上げ、私は思わずこう吐き出した。

 

「無理かもしれないけど……。私、〝味方〟 が」一瞬、味方という一語に力をこめて、「……ほしい」

 

 あなたにそうなってもらいたい、と目の前の相手に向かって、赤裸々に意思表示したのだ。こんなに切実に 〝味方〟 を求めたことはなかったし、その対象を名指しした、みずからの直截な表現に驚きつつ――たぶん旭さんも驚いたであろう――、ここまで切願せざるを得ない状況に陥っている抜き差しならない苦境を、自分にも、相手にも、はっきり明示したのだった。

 

 そうだ、私は一人でも多くの 〝味方〟 がほしい。もはや、そうでなければ生き残れない窮地に追い込まれている。だから、あなたに、できればそうであってもらいたい。この手記に書いてあることは、高木さんが予言したとおり、多くの人が目を背けるであろう内容なので、受け入れられるのは難しいかもしれないけれども。と、いままで言葉にならなかった思いが、輪郭を伴って立ち上がってくるのを覚えた。

 

 旭さんはすぐに、こうした内心の希求を正確に受けとり、

 

「理解あれば。心の拠り所が。そういうひとことが」

 

 と呟(つぶや)いた。

 

 粒子の淡い不思議な光明が、ハローワークの無機的な会議室のブラインドを通して、向き合わせに並べられた長机に柔らかく落ちていた。「理解」という言葉が羽毛のようにふわっと心を包み込んで、清涼な安心感をもたらした。一年前の、熱意をこめて相談に応じてくれていた人が、職業相談の最前線でもみくちゃにされることによって甲冑となっているであろう冷たい仮面を突き破って、いつの間にかここに戻ってきていることを、それとなく実感した。

 

     3

 それから旭さんは、同僚である比佐間(ひさま)さんの心情を、自分の心情に重ね合わせるように代弁し、言葉の行き違いについて教えてくれた。第十章「非マイノリティポリティクス」で書いたとおり、一年前、些細な発言がきっかけで、比佐間さんと疎遠になってしまっていたのだ。

 

「言葉は怖い。そのときの感情や体調によって、ポンと相手が受けとれない言葉を発してしまうことがある。ミスしたくてしてるわけじゃないヒューマンエラー。そこは受け手の判断で、言葉尻を捉えられてしまう。寛容と譲り合いが大事。お互いさま」

 

 相談員の苦労が想起され、ああそうかと感慨深く思って、キーワードをノートに記録しながら、今し方の発言を自分なりの言葉で繰り返すと、彼は相づちを打ってさらに話を続け、「寛容さは人それぞれ。コントロールする」とつけ加えた。

 

 コントロール! 寛容さまでコントロールするものなのか……。と一瞬、瞠目(どうもく)した。

 

「天寧さんは極端。もうかかわらないでおこう、邪魔しないようにって思ってしまう。切り替えが苦手。問題がクリアしないと先に進めないから」

 

 的確な指摘に私は思わず苦笑して、「極端? ですよね……」と反省しながら、貴重な助言を心に刻みつけた。

 

 壁に掛かっている時計を見上げると、約束の三〇分を一〇分も過ぎていた。慌てて机いっぱいに並べた手記の冊子に手を伸ばして片付けようとすると、旭さんが全部もっていく素振りをみせるので、

 

「さすがにそれはご無理では。負担ではないですか?」

 

 とびっくりして遠慮すると、彼は素早く考えを巡らせて、

 

「六章から」と簡潔に指示する。

 

「えっ? 一章から五章までが見てもらえる部分だと思ってましたけど……」

 

「話はだいたい聞いているから」

 

 手元に残された手記を紙袋に回収しながら、それではさて、次回はどのようにしてその感想を得たものだろうか? と考え込んでいると、

 

「電話して」

 

 と旭さんは短く言った。窓口で仕事をさばくときのように、即断即決である。

 

 そうして、挨拶(あいさつ)もそこそこにあっさり別れ、庁舎の出口に向かった。今の時世それなりに景気がよいのか、ポツポツ出入りする求職者たちは、血走った目というわけでもなさそうに、足早に建物に吸い込まれ、吐き出されていく。令和の空気はクリーンで残酷な明るさを、梅雨闇から放射している。

 

 庁舎を出ると、聴覚過敏が立ち上がる様子は微塵(みじん)もなかった。いつも旭さんの聴覚過敏抑制力は抜群で、彼に会う前と会ったあとは、肉体の爆弾はシーンと気配を殺し、泉の水面のごとく静まり返ってくれる。旭さんがもっているこの 〝能力〟 はなんだろう? とつくづく不思議に思った。

 

 いきなり押しかけていって、一方的な信頼を押しつけて、内臓物をぶちまけるような真似をしでかしたと、自分のいつもの押し姿勢を我ながら苦々しく思いながらも、しかしそれだけ進退窮しているのだと自覚する。こうしたなりふりかまわぬ、猪突猛進の、過剰とも言える意思の表出を、冷静な観察者である旭さんは、極端と受け止めたかもしれない。

 

 ハローワークの主戦場で修羅場をかいくぐっている人が、その戸口にも至れないようなどうしようもない人間に手を差し伸べ、心の拠り所を与えてくださったことに、深い感謝の念がこみあげる。無茶で危なっかしい自分の振る舞いを申しわけなく思う。

 

 

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