20年心にしまい続けた森口奈緒美さんへのファンレター
私は自閉症当事者・森口奈緒美さんの大ファンです。熱烈といっていいほどかもしれません。
先日、森口奈緒美さんの自伝第3作『自閉女の冒険』をチラ見(まだ途中までしか読んでいない)しました。
森口さんいわく「もう、あまり、時間がない」(214頁)という気になり、いてもたってもいられず、長年にわたる森口さんへの思いを書き記すことにしました。
- 『変光星』との出会い~アスペルガー症候群を診断される
- ドナの本にも出会う
- 明るく、軽く、キラキラしている手記は心を打たなかった
- 森口さんの手記の〈重み〉が〈支え〉に
- ファンレターを書くのが夢だった
- 日本で一番面白いノンフィクション
『変光星』との出会い~アスペルガー症候群を診断される
20代前半だった頃、私は職場でことばの聞き取りがうまくいかず(他にも状況理解のまずさやいじめ等もあり)鬱が酷かったためにアスペルガー症候群を疑い、関係の本を調べている時、偶然、『変光星』を手に取りました。
それは、初めて読んだ自閉症者の手記でした。
「こんなにも命懸けで自閉症と、世間と闘って生きている人がいるのか……!」
涙を流して感激したことを覚えています。
先達者の存在が心強く、勇気づけられました。
森口さんの事例を参考にして、半年かけて生育歴をまとめ、ある病院でアスペルガー症候群を診断されました。
森口さんの著書あって辿り着いた診断でした。
ドナの本にも出会う
余談ですが、それからドナ・ウィリアムズの著書にも巡り会い、今度はドナに没頭しました。
私にとってドナは姉のような存在でしたが、英語音痴が壁になり、積極的にコンタクトを取ることもなく、遠くから憧れていただけでした。
気付くとドナは、既に亡くなっていました。
私はその間、ひたすら自分・世間と「戦争」していて、なんの余裕もなかったのでした。
明るく、軽く、キラキラしている手記は心を打たなかった
いつしか発達障害の情報は多くなりました。
別の当事者による手記も手にとってみましたが、最後まで読み通すことはなく、さほど印象には残りませんでした。
いいなと思った手記もあったのですが、自分の内面的な「戦争」に明け暮れて、読み通す気力が続かなかったのでした。
特に明るく、軽く、万人に受け入れられやすい作風のもの、「発達障害だから○○できる!凄い!」系のキラキラしたものは読めませんでした。
〈軽い〉作風の手記には、一般的には安らいで読める良さはあるでしょうが、決して私の心を打つことはありませんでした。
森口さんの手記の〈重み〉が〈支え〉に
同調圧力の強い日本という国。意識が〈拡散〉していく現代という時代。
森口さんや私のような人間は、時代・人間の趨勢から完全に〈逆行〉しているから生きづらい。何を言ってもやっても、みんなの〈逆〉になってしまいます。
そうした現実の〈重み〉を凄まじくリアルに突き出しているのが、森口さんの手記でした(情報弱者の私の得ている情報の幅が狭すぎるのかもしれません。他にもリアルな手記はあるのでしょう)。
どの当事者の手記よりも、森口さんの手記には〈重み〉があるように私には思われました。
世の中に一人で〈逆らって〉いて、その衝撃と重力の底で悲鳴を上げている。
それは一人の人間の生きた証、〈当事者文学〉そのものでした。
まさに「命懸けで書いている」――(だから好き!)
そしてその〈重み〉は、私の生きる〈支え〉となっていきました。
〈重い〉からこそ〈支え〉となりうる重力を得たのです。
森口さんのように、世の中に大々的にもの申す気力もなく、私は社会や聴覚過敏との闘いに明け暮れました。
そんな中で、森口さんの手記は20年以上、私の生きる拠り所であり続けました。
ファンレターを書くのが夢だった
ファンレターを書こう書こうと思いながら、長い年月が過ぎてしまいました。
『変光星』も『平行線』も、もう一回ちゃんと読み直さなきゃ……などといろいろ襟を正してしまって(読むのが苦手なのもありますが)。
リスペクトしすぎて、恐れ多くて書けないといったところかもしれません。
だからこの記事は、出さなかったファンレターです。
日本で一番面白いノンフィクション
『自閉女の冒険』は3分の1ほど読みましたが、やはり素晴らしいの一言です。
〈当事者文学〉としての〈重み〉があり、心がノックアウトされます。
日本で一番面白いノンフィクションです。私には。
私に生きる力と〈支え〉を与えてくださった森口奈緒美さんの、果てしない苦しみが和らぎ、穏やかで安らかな日々が訪れるように願っています。
そしてできれば、私がファンレターを書くまではご健在で、生きていらっしゃるように、と…。