自閉症の人は「努力」しないという先入観
知り合いの躁鬱病持ちD氏に手記原稿を見せた。
そこには、思春期の内面における葛藤と、職場いじめなど社会に出てからの闘いを記していた。
D氏はこう指摘する。
「自閉症の人でここまで努力しているのは少数派でしょうね」
「は?」
なぜそんなふうに言えるのか?
違和感を抱いたので、私見を述べる。
自閉症の人は努力しないという先入観
知る限り、D氏は自閉症の本を一冊も読んだことがないはずだ。
自閉症の人に一人もかかわったことがないはずだ。私以外は。
理解どころか、自閉症のことを何も知らない。
そんなD氏はこう思っているのだろう。
「多くの自閉症者は努力しない」
こうした考えあって、さきの発言が出てきたのだろう。
そもそもなぜこういう発想が出てくるのか。
自閉症 → 自分に閉じこもっている → 外的経験が乏しい → 努力しない
という短絡的なイメージだろうか?
自閉症の人には、努力しすぎてボロボロになった人、もう努力すらできなくなった人がいる。
努力ではなんともならない、自分の適性にない能力は、努力でなく工夫で補っている人もいる。
D氏は「努力」をどう捉えているのだろう?
あれをやったとか、これをやったとか、「具体的な苦労」で揉まれ、外的経験を積むことだけを、「努力」と考えていないだろうか?
自閉症者の2つの闘い
自閉症の人の「闘い」には二方向ある。
一方向は、外部の世界で「もめる」こと。
学校や職場になじめなかったり、いじめられたり。
定型発達者の何倍も苦労しているのだ。
もう一方向は、内部の世界で「もめる」こと。
発達が遅れていたり、乱れていたりする自閉症者は、常に内面の葛藤に引き裂かれている。
普通の人が1や2の労力をやっていることを、100や1000の労力でこなさなければならないのだから、努力どころか「戦争」である。
目に見える外的経験の有無だけが、人間の成長ではないし、闘いではない。
「努力」以上のエネルギーを使って、常に戦争している。
根拠のない先入観
「自閉症の人はみんな努力しない」
これは根拠のない偏見であり、先入観であり、イメージだ。
こうした先入観を抱く前に、生身の自閉症の人を知ってほしい。かかわってほしい。
解説書や当事者の手記を、せめて啓発パンフレットを見てほしい。
まず実態を知ってから、ものを言ってほしい。
「自閉症ってこんな感じ」というイメージは、あなたのつくり上げた先入観でしかない。