マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

ドナ・ウィリアムズ『自閉症という体験』との対話 1 死者だからコミュニケーションできる

 20年前、自閉症だったわたしへ』という本 ↓

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

 

を読んで、この人は自分のようだと感じました。実際、違ったところは多々あるのですが。それからずっと、ドナに特別な親近感を抱いてきました。

 

 最近になってようやく自閉症という体験』を読みました。それは、人生観を変える衝撃の内容でした。

自閉症という体験

自閉症という体験

 

商品の説明amazonから引用)

内容紹介

本書は自伝ではない。著者自身である自閉症者の内的世界を独特の文章で描写している。発達障害のなかでも理解されにくい自閉症者の感覚について「自閉症」の体験という言葉で語っている。「自閉症」というレッテルを貼って自分たちと差異化し、理解できない存在として片づけようとする私たちに彼らの豊かで驚くべき世界を広げてくれる。ドナによって私たちは未知の世界の扉を開くことができる。

内容(「BOOK」データベースより)

本書では、人が生きるにあたって使う二つのシステム、“感覚システム”と“解釈システム”について語られる。人は成長過程において“解釈システム”を重要視して“感覚システム”を根絶やしにしてきた。自閉症の人びとは“感覚システム”を失っていない人びとである。彼らの在り方こそが社会を荒廃から救い、再生へと向かわせる道標になるだろう。“感覚”と“解釈”の両システムを調和させ、よく使い分けられることが社会生活の真の豊かさにつながり、その実現に最も重要な役割を果たすのが、藝術行為であることが説かれる。

 

 読み終える直前、ドナについて調べているとき、偶然「ドナ・ウィリアムズ 死亡」という検索ワードがスマホ画面にひっかかりました。今更ながら、二〇一七年に、精霊のようだったドナが、肉体の死を遂げたということを知りました。

 悲しく、寂しくて……。

 今からでも亡きドナに会いたいと思いました。そのためには、ドナに語りかけるほかありませんでした。だから詩を書きました。ドナの死が、時空を越えた私とドナの再会となりました。

 

 この本を読んで、生前のドナより死後のドナに、より親近感を抱くようになりました。

 私はずっと、コミュニケーションがうまくいかないことに悩んで生きてきました。ドナは、死んだ飼い猫とともに、死者とのかかわりを教えてくれました。人間は、死んで肉体を失うからこそ、魂は自由になり、生前とは違った精神的結びつきを可能にするのだと。相手が死者だから可能になるコミュニケーションがあるということを。

 

 

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【終わりの始まり】

   ―ドナ・ウィリアムズに贈る―

 

 

あなたを知ったとき

わたしと思った

あなたはわたし

 

それから

あなたの示したわたしを探しに

旅立っていった

遠くへ 遠くへ……

 

わたしがわたしになる

大地を見つけたとき

わたしを知らない

あなたに橋を架ける

明日がくるかもしれないと

道を急いだ

 

険しく終わりのない風雪は

歩む足をとどめた

休息の天幕で

あなたを呼び寄せなかった

色彩が染みるから

 

旅はどうにか道半ばまできた時

何かが光った

あなたの至高の結晶が

姿を顕したのをわたしは見た

遂にわたしは知った

あなたはわたしではない

違うということが

わたしの現し身だった

 

ちょうどその時

一陣の知らせが吹いた

あなたを呼び寄せなかった日

あなたはいなくなっていた

すでに 橋を架ける前に

永遠に

 

あなたの遺言は

わたしを象っている陰影を照らした

あなたにはなれずとも

わたしは陰影を描き出すだろう

もう橋は架けられない

そのことが橋になる

あなたはもういない

そのことがわたしとあなたの

始まりとなる

 

ドナ わたしはまだここに……

ドナ わたしはまだここから……

(2019.1.19)