ブログに書くことが思いつかない & 聴覚過敏手記プレ出版
「そろそろ記事を書きたい」と書いた後、気づけば、4カ月も経っていました。
その間、聴覚過敏手記を自分で製本して、ドラクエ11のゲーム実況にハマって、手記を文芸社と中日新聞のコラボ企画の自分史大賞に応募して、ドラクエ11の主人公のサラサラ髪はドラクエにしては珍しくHSP気質を表現しているのかもとか思って、手記をkindle出版することを思い立ってまたしても推敲が終わらなくて死にそうで、遂にドラクエ11が欲しくなりプレステも要るんかと悶々として、次の手記「<自閉>と<社会>のはざまで」を書き進めるも森口さんの『自閉女の冒険』が良すぎて感想を書きたいのに手記で一杯一杯で、ドラクエ11ができない禁断症状でGEOの黄色い看板ばかりをチラ見して・・・
と、余計な煩悩に目がくらみつつも、手記の推敲をしていました。
書くことが思い浮かばない
最近、ブログに、書くことがない。
思い浮かばない。なんか、書けない。
その理由は――
1、私の抱えている問題がマイナーすぎる
( 自閉症に関して)私が悩んでいること、困っていること、抱えている問題が、ニッチすぎて、マイナーすぎて、多くの人の抱えている問題と一致しない。
2、深刻な問題を書きづらい & 書くと身元が割れる
深刻な問題を気軽に書けない。
問題がマイナーなので、書くと、身元が割れる。
嘘がつけない性分なので、ウッカリ書かなくていいことを書いてしまうのを恐れ、控えてしまう(嘘が書ければ、もっとしゃべれる)。
3、あまり家から出ないので、話題がない
4、読んでいる人が少ないので、モチベーションが続かない
5、コミュニケーション前提で表現するのが難しい
「コミュニケーションのための言葉」と「自己表現のための言葉」が、私の中で、分かれている。
読者を想定し、コミュニケーション前提で言葉を発すると、私の場合、自己表現しづらくなる。
「コミュニケーションのための言葉」を優位にし、これを目的にすると、自分の言葉が死んでしまう。
・・・というところでしょうか。
コミュニケーションに重きを置くと、書けなくなるので、もう少し、口調をクローズな感じにしていくかもしれません。
これからアップする予定
書くことがなくなってきた&なかなか書けないとはいえ、書きたいテーマはあります。
自己表現の場は欲しいです。閉鎖する気はまだありません。
をアップする予定です。
・・・予定ですが、3カ月後、否、半年後、否、3年後になるかも・・・。
最近、(プレ)出版したものの紹介
左から1:自分史「ひとつ葉」
このブログに上げる予定のミニ手記「<自閉>と<社会>のはざまで」を、14号に掲載します。
左から2:イラストのアンソロジー集「energy2021」
2点だけですが、私の絵が載っています。
左から3:詩のアンソロジー集「蒼炎浪漫」19号
(たぶん岐阜県内の図書館、国立国会図書館などにあり? たぶん…)
私の詩と小説が7作品掲載されています。
左から4:聴覚過敏手記の自家製本『マイノリティ・センス』
自家製プリンターで製本したもの。
3年かけて11回推敲しましたが、まだ終わりません。
私の言葉が、ひとりよがりで、コミュニケーション向きではないからです・・・。
kindleで出版したいと考えていますが、編集者の目が通っていないので、こんな自閉的な日本語で、果たして一般の人に通じるのか? と葛藤しています。
ハァ、広報は、本当に本当に苦手です・・・。
20年心にしまい続けた森口奈緒美さんへのファンレター
私は自閉症当事者・森口奈緒美さんの大ファンです。熱烈といっていいほどかもしれません。
先日、森口奈緒美さんの自伝第3作『自閉女の冒険』をチラ見(まだ途中までしか読んでいない)しました。
森口さんいわく「もう、あまり、時間がない」(214頁)という気になり、いてもたってもいられず、長年にわたる森口さんへの思いを書き記すことにしました。
- 『変光星』との出会い~アスペルガー症候群を診断される
- ドナの本にも出会う
- 明るく、軽く、キラキラしている手記は心を打たなかった
- 森口さんの手記の〈重み〉が〈支え〉に
- ファンレターを書くのが夢だった
- 日本で一番面白いノンフィクション
『変光星』との出会い~アスペルガー症候群を診断される
20代前半だった頃、私は職場でことばの聞き取りがうまくいかず(他にも状況理解のまずさやいじめ等もあり)鬱が酷かったためにアスペルガー症候群を疑い、関係の本を調べている時、偶然、『変光星』を手に取りました。
それは、初めて読んだ自閉症者の手記でした。
「こんなにも命懸けで自閉症と、世間と闘って生きている人がいるのか……!」
涙を流して感激したことを覚えています。
先達者の存在が心強く、勇気づけられました。
森口さんの事例を参考にして、半年かけて生育歴をまとめ、ある病院でアスペルガー症候群を診断されました。
森口さんの著書あって辿り着いた診断でした。
ドナの本にも出会う
余談ですが、それからドナ・ウィリアムズの著書にも巡り会い、今度はドナに没頭しました。
私にとってドナは姉のような存在でしたが、英語音痴が壁になり、積極的にコンタクトを取ることもなく、遠くから憧れていただけでした。
気付くとドナは、既に亡くなっていました。
私はその間、ひたすら自分・世間と「戦争」していて、なんの余裕もなかったのでした。
明るく、軽く、キラキラしている手記は心を打たなかった
いつしか発達障害の情報は多くなりました。
別の当事者による手記も手にとってみましたが、最後まで読み通すことはなく、さほど印象には残りませんでした。
いいなと思った手記もあったのですが、自分の内面的な「戦争」に明け暮れて、読み通す気力が続かなかったのでした。
特に明るく、軽く、万人に受け入れられやすい作風のもの、「発達障害だから○○できる!凄い!」系のキラキラしたものは読めませんでした。
〈軽い〉作風の手記には、一般的には安らいで読める良さはあるでしょうが、決して私の心を打つことはありませんでした。
森口さんの手記の〈重み〉が〈支え〉に
同調圧力の強い日本という国。意識が〈拡散〉していく現代という時代。
森口さんや私のような人間は、時代・人間の趨勢から完全に〈逆行〉しているから生きづらい。何を言ってもやっても、みんなの〈逆〉になってしまいます。
そうした現実の〈重み〉を凄まじくリアルに突き出しているのが、森口さんの手記でした(情報弱者の私の得ている情報の幅が狭すぎるのかもしれません。他にもリアルな手記はあるのでしょう)。
どの当事者の手記よりも、森口さんの手記には〈重み〉があるように私には思われました。
世の中に一人で〈逆らって〉いて、その衝撃と重力の底で悲鳴を上げている。
それは一人の人間の生きた証、〈当事者文学〉そのものでした。
まさに「命懸けで書いている」――(だから好き!)
そしてその〈重み〉は、私の生きる〈支え〉となっていきました。
〈重い〉からこそ〈支え〉となりうる重力を得たのです。
森口さんのように、世の中に大々的にもの申す気力もなく、私は社会や聴覚過敏との闘いに明け暮れました。
そんな中で、森口さんの手記は20年以上、私の生きる拠り所であり続けました。
ファンレターを書くのが夢だった
ファンレターを書こう書こうと思いながら、長い年月が過ぎてしまいました。
『変光星』も『平行線』も、もう一回ちゃんと読み直さなきゃ……などといろいろ襟を正してしまって(読むのが苦手なのもありますが)。
リスペクトしすぎて、恐れ多くて書けないといったところかもしれません。
だからこの記事は、出さなかったファンレターです。
日本で一番面白いノンフィクション
『自閉女の冒険』は3分の1ほど読みましたが、やはり素晴らしいの一言です。
〈当事者文学〉としての〈重み〉があり、心がノックアウトされます。
日本で一番面白いノンフィクションです。私には。
私に生きる力と〈支え〉を与えてくださった森口奈緒美さんの、果てしない苦しみが和らぎ、穏やかで安らかな日々が訪れるように願っています。
そしてできれば、私がファンレターを書くまではご健在で、生きていらっしゃるように、と…。
9ヵ月ぶりの投稿です。近況〈聴覚過敏手記〉など
久々の投稿です
9ヵ月ぶりの投稿です。
ブログを始めてから、集中しすぎるのを止められず、画面を凝視し続けて、視力が大幅に悪化してしまいました…。
空間定位(空間に自分の身体の位置・姿勢を定めること)がしづらくなり、聴覚過敏も悪化したので、長らくパソコン画面から遠ざかっていました。
聴覚過敏の手記を推敲していました
聴覚過敏の手記の推敲をずっとしていました。
原稿は完成して、そろそろなんらかの形で発表(出版)したい。
宣伝は苦手だけどやらなければならないので、集中しすぎて目を酷使しないように気をつけながら、これから少し記事を上げるかもしれません。
手記のタイトルはこのブログと同じ『マイノリティ・センス』。
表紙のイラストはこちらです。
線画は鉛筆。アクリル絵の具(金)をローラーで塗ったものを、photoshopで合成しました。
上の絵の痛々しい血しぶきは、赤絵具を指で弾きました。
森口奈緒美さんのこと
・・・それから森口奈緒美さんに関する記事も書きたいです。
『自閉女の冒険』を斜め読みして衝撃を受け、ファンレターを書かねばと、いてもたってもいられない気持ちです。
ホームページを再開されたと知り、心強いです。
どうかご健在でいらっしゃいますように!
言葉が重くてパッと出ない…
行きたい場所がある。
かけたい電話がある。
……でも腰が重い。
聴覚過敏がハードルになっているのですが、言語の問題もあります。
言葉が沼の底に沈んでいるよう
自分の要求をパッと言葉にできない。
そうできる自信がありません。
言葉が重たい沼の底に沈んでいて、なかなか浮かんでこない感じです。
その時その瞬間に、うまく引っ張り出せない心もとなさがあります。
たとえとっさに言葉が出たとしても、相手に合わせる表面的な言葉になってしまうことがあります。
そこには「自分」がいないことも…。
「自分」はもっと底の方に座っています。
目の前の人に合わせている「自分」は、かなり演技しています。
質問されたときもそうです。
本当に自分が思い考えていることを、即座に言葉にするのは難しいです。
できることもあり、そのときは嬉しいですが、できないときは不全感が残ります。
とにかく時間がかかります。
常に書くものが必要です。
台本があれば話しやすい
だから、あらかじめ台本を書いて、自分の言いたいことをまとめておきます。
この筋書きがあれば、心に刻みつけられた文字を見ながら話せます。
心の中を覗きながら、現実に接することができます。
一度話し始めると、「自分」も「言葉」も少しずつ「重力の沼」から浮かび上がってきますが、何事も入念に台本を書いておかなければ、最初の言葉は出づらいです。
言葉が出づらいので、人に働き掛けるのは、いつも腰が重いです。
※8年前の記事を公開しました。
超個人的偏愛趣味音楽【ドラクエ/アルヴォ・ペルト/dir en grey/モーツァルト/光田康典など】
コロナ危機によって聴覚過敏が悪化したので、毎日音楽をかけまくっています。
ブログに自分の好きな趣味音楽をアップしている人を見ると、「いいなぁ、私もやってみたい…」なんてスケベ心を起こして、こっそり好きな音楽を紹介。
発達障害とはなんの関係もない、ただの私の個人的偏愛趣味なので、興味のない方はスルーしてください・・・。
偏愛CDコレクション全体
車の中にも10枚ほど。
上段:ゲーム音楽
生まれて初めて心から感動した音楽が、すぎやまこういちのドラゴンクエスト・オーケストラでした。
リズム、ハーモニー、メロディーが織りなす音の世界。
これが音楽というものなのかーーー!!
と開眼し、クラシック、現代音楽、ロック、民族音楽となんでも聴くようになりました。
それにゲーム音楽は、何度も同じメロディが「繰り返され」ます。
「繰り返し」を好む私は夢中になりました。
最小単位のメロディーが何度繰り返されても、決して飽きさせない。
骨となる旋律に無駄がない。
それは、その曲が優れている証拠です。
優れたゲーム音楽は「完璧」です。
一番好きな曲は「おおぞらをとぶ」 ↓
中段:クラシック
中段はクラシック。
モーツァルトとラフマニノフが好きですが、一番好きな曲は「ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」 ↓
Arvo Pärt Cantus in memoriam Benjamin Britten - Proms 2010
アルヴォ・ペルトはエストニアの作曲家で、静謐な現代音楽を作曲しています。
この曲は「この世のものとは思えない静寂、いままで聴いたことのない純粋な響き…」とアルバムの解説にある通り、息を呑むほど鬼気迫る「静けさ」と「祈り」が、鐘の音で表現されています。
棺桶の中にもっていきたい音楽。
下段:ハードロックその他
下段はハードロック、ポップス、民族音楽、環境音楽、ヒーリングミュージックなど。
一番好きな曲の一つは ↓
[subbed] Dir en grey - The Pledge
dir en greyは「痛み」を表現するアーティストです。
昔、PTSDの知人から紹介されました。
子どもの頃、虐待された彼は、自分の心を表現できないため、dir en greyの曲でカタルシスを味わっていました。
彼の代わりにdir en greyが泣いてくれている、というわけです。
彼に書いた詩。
【記憶の鎖】
心の深手を背負ったまま
言葉を操り書くことも
歌うことも踊ることも
涙を流し悲しむことも禁じられ
空想の檻に閉じ込められて
記憶の中で自傷する君
人間らしさを奪われて
気が遠くなるほど長い年月
頭でさまよった反復の日々
どうかほんの少しずつでも
話してほしい泣いてほしい
表現を怖れず開いてほしい
冷凍した記憶を温かくほどき
溶かして再び生きてほしい
(『声・まっくら森』収録)
日本では、見目麗しく、心地よく、癒しとなるものが芸術として消費される傾向がありますが、本当の芸術は「いやったらしい(岡本太郎)」ものでもあります。
今はほぼモーツァルト
ここまで紹介してきましたが、CDコレクションの音楽は今、ほとんど聴きません。
図書館から借りてくるモーツァルト全集を、2年前から毎日聴いています。
ドライブ中はドラクエですが。
モーツァルト音楽のクリアな波動は、心と体を鎮めます。
これがなければ生活できません。
最大の聴覚過敏対策です。
もはやモーツァルトの音楽以外、聴きたいと思わなくなりました。
……と思っていましたが、最近また光田康典を聴いています♪
うるさい! コロナストレス(2) 以前より厳しくなった日常
近所がうるさくなった
この頃から、ゴールデンウィークや土日などの休日に聴覚過敏が悪化する法則に気づくようになった。休日は平日と違って、わさわさ動き回る何者かの気配がせわしなく、一触即発の空気に満ちている。身体じゅうの細胞は落ち着きなく、爆弾を抱えているよう。休日は私にとって避けなければならない鬼門だ。とくにゴールデンウィーク、夏休み、年末年始は、聴覚過敏の火種が発火する危険を孕(はら)んでいた。
『踏まないで! ―ある自閉症者の聴覚過敏手記― 第八章 病む記憶』
静かな平日の近所が「休める場所」だったのに、今は近所がうるさくなり、生活しづらくなりました。
散歩道には人があふれ、往路800メートルほどの距離で、約10家族(グループ)に遭遇します。
精神の健康を保つためには、それしか方法はないと、理解はしていますが。
私の精神衛生上は厳しいです……。
ただ5月5日あたりからグループが半減。
外出自粛生活に慣れたのか、オンライン上で授業をやっているのか。
かなり楽になりました。
これならなんとか耐えられるかな……。
会話「耳栓」をください
一番困っているのは、会話する機会がないことです。
これまである会で会話することで、聴覚過敏の対処になっていました。
毒をもって毒を制する。
ちょうど会話が、耳栓の役割を果たしていたのです。
しかし会は休止となり、私の健康上、厳しい状態が続いています。
友人が少ないため頼める人もなく……。
コロナ対策は万全にし、十分距離を取るから、誰か会話してください。
見えない困難
コロナ緊急事態によって、私の日常は以前より過酷になりました。
図書館が閉まっているのも厳しいですね。
命の危険はあるけど全世界に理解者がいる病気と、意識ある間、恐怖と苦痛が続く理解者がない病気。
後者の方が、私には格段に苦痛で大変です。
roots-amanekouko.hatenablog.jp
私が抱える見えない困難を可視化することに、意義があるかもしれないと思い、こうして記事を書きました。
現段階で、緊急事態宣言は解除の方向に進むそう。
ホッとしています。
これで少しは楽になれば……。
今はコロナ関係の社会問題があふれ、誰もが大変ですが、人に理解されづらい特殊な生きづらさを抱える人は、さらに自分との闘いを余儀なくされると思います。
可視化されず声を上げづらい困難を抱える人を、一番気にかけています。
* * *
追記:2012年の過去記事を大量(13記事)にアップしました。
サイドバーからも読めます。
roots-amanekouko.hatenablog.jp
選挙活動で苦労した聴覚過敏とコミュニケーションの問題
最近、応援している人の選挙を手伝いました。
以下は聴覚過敏やコミュニケーションの困難を記した記録です。
選挙前夜打ち合わせ
総勢12名で打ち合わせ。
- あちこちザワザワ騒がしく気が散る
- 誰も彼も声がキンキン尖っている
- 初めての顔ぶれとのコミュニケーションに苦手意識がある
- 目に見える手がかりのない話し言葉がわかりにくい
- コロナ防災バカ無線がうるさい
- ドアや取っ手にコロナウィルスがついている可能性があるのが気にかかる
- 人がマスクを外して近づいてくると脅威を覚える
- 聴覚過敏が今にも出ないかと身体に意識がいく
- 打ち合わせが盛り上がってトイレに行くタイミングが掴めない
- サウンドレベルメーターを車から持ち出したいとムズムズ
とにかく刺激が多い。
自分の身体の要求、外の世界の刺激・・・。
いろんなことが気になる!!
みんななんともないのが信じられない。
応援している人を勝たせるという目的のみを見つめ、目の前のコミュニケーションに集中するよう努力。
身体をうまく空間になじませるようにして、参加できた。
おかげで2時間近く経過しても、聴覚過敏の気配はない。
そこから作業に入り、いつの間にか3時間半経過してお開きに。
聴覚過敏は出ずホッとした。
苦手な状況でよく耐えた。
1日目
毎日コンディションが整うのが昼過ぎなのに、朝早くから選挙事務所へ行き活動。
内心「大丈夫か」と不安。
ワイワイガヤガヤうるさい事務所で、活発に作業する。
自分に割り当てられた、できる仕事があると、空間参加感が増して安心する。
6時間半経過した頃、頭がズキズキしてきたので早退。
聴覚過敏の嫌な首痛ではなく、いろいろな緊張と疲れが頭痛になったという感じ。
それでも聴覚過敏には違いない。
帰宅して仮眠すると、上半身の筋肉が突っ張り痛む。
こんなに苦手な状況でよく頑張った!
明日もつか不安。
2日目
昨日の聴覚過敏の痛みが上半身に残ったまま、選挙事務所に朝出勤。
自分に割り当てられた重要な仕事を済ませると、午後からいよいよ選挙カーへ。
雨が降っていて寒かったが、人の声があちこちで飛び交う事務所よりは、静かな選挙カー車内の方が、聴覚過敏のダメージは少ない。
人と作業することにも慣れてきて、夜9時の段階で、痛みがおおかた消えるほど。
昨日の疲労がこんなに残っているのに、聴覚過敏は出なかった。
12時間ももった。
私にしてみれば、苦手な環境でどれほどもちこたえたことか!
3日目
昨日に引き続き、選挙カーのウグイス(候補者の代わりに応援演説する仕事)に集中して6時間半。
台本があるから、ウグイスはできないことはない。
ただ、他のウグイス担当者はとっさに臨機応変な言い回しができるが、私の言葉はどうしても台本通りの定型文句になりがち。
聴覚過敏は一切出ず。
苦手な状況で頑張った!
4日目
昨日に引き続き、選挙カーのウグイスに集中して7時間。
YさんとDさんに声を誉められ嬉しかった。
苦手なZ夫婦がいて、自分の話ばかりされるのに辟易したが、私にしてみれば、よく話の輪に入った。
聴覚過敏は一切出ず。
苦手な状況でよく頑張った。
5日目
朝から選挙事務所へ。
ストレスがたまり、昼食中は少しむっつりしていた。
出しゃばりZ夫人の自慢話にもうんざり。
午後は事務所の世話。
昼1時から5時まで、おばさん達に混じって苦手な “世間話” に興じる。
こんな苦手な井戸端会議に良く耐えた。
夕食中、あちこちザワザワしてうるさい!
ここでも、あまり面白くない目の前の会話に集中し、苦手な状況を淡々と耐え、乗り切った。
夕食後、片付けが終わり事務所で休憩。
Yさんと、医学の話で盛り上がった。
やっと興味深い、実になる話が聞けたので、充実感があった。
意気投合したので、Yさんは心を開き、人の悪口を言うことで団結する近所の人の醸し出す雰囲気が「つらい」と打ち明けた。
Yさんは、実はHSP人と判明し、心強かった。
Yさんの話が理解できたのは、感覚と経験と知識が私にあるから。
しゃべり上手なZ夫人のペラペラ言葉は理解できない私だが、聞き上手だからこそコミュニケーションを取れたと自信が持てた。
聴覚過敏は平気だった。
6日目
朝からウグイス。
うまくスピーチできて満足。
昼食後は某所で相談。
仮眠したのもあるが、ほとんど疲れていない。
夕方からまた選挙カーに搭乗。
Z夫人が発達障害当事者であると判明。
これだけしゃかりきに働いたのに、聴覚過敏と疲労がほとんど出なかったので、嬉しい。
最終日
朝からウグイス。
昼頃、選挙最終日にして目の奥と首が重くなってきた。
午後はドッと疲れが押し寄せ、首も目も頭も腕も、上半身一帯が全部痛い。
「あー疲れた!」と同乗者に愚痴る。
選挙カーの後続車を2台走らせていたが、みんな疲労がたまっている。
選挙カーをぶつけ、スタッフはやいのやいのと大喧嘩。
帰宅すると、疲労と痛みのあまりグッタリ。
苦手な状況の連続だった
……とまあ、毎日「頑張った」と自分をねぎらう日記ばかりですが、それほど「苦手な状況」の連続でした。
人と関わる機会と賃金を与えられたのは、大変ありがたかったです。
コミュニケーションやうるさい場所が苦手なのに、人なかで耐えたこと。
何より聴覚過敏を。
一対多のコミュニケーションが、私にとってどれほど難しかったか…。
苦手な状況で、人一倍、自分の能力以上の仕事をした!
と何度も自分をねぎらっておきます。
巧みな言葉でのし上がろうとする人
Z夫人という人が、ペラペラよく動く舌で自分のことをまくしたて、場を乗っ取ろうとするのが困りました。
巧みな言葉にものを言わせ、場を制する。
横暴です。
口下手で黙々と影の働きをしている人もいるのに、口が達者で、ごね、騒ぎ、派手な働きをした者ばかりが目立ち、意見は通される。
こんな世の中なってほしくないです。
場・状況に自分をそぐわせたい人
状況や人によって、パーソナリティーを演じ、完全に別人のようになる人がいました。
つまり状況功利的に顔の裏表を使い分け、自分の利益を図ろうとする人。
「自分がどうか」よりも、「場・状況で自分が得するかどうか」に意識が向いているのです。
不気味です。
裏表のない自閉症の人には絶対できない振る舞いでしょう。
あーーー、心細かった!!
配慮できる状況でないのは重々承知しているけど、私の感じ方に理解と配慮があったら……と思いました。
人の気持ちがわからない奴はアスペルガーだ!……なわけはない
○○さんってアスペルガーじゃない?
知り合いのY美が、声をひそめて私にこうささやきました。
「Oさんてアスペルガーじゃない?」
Y美はスピリチュアルなものに興味を持つ、繊細で敏感な人です。
HSP(Highly Sensitive Person 人一倍敏感な人)の特性があると、私は感じています。
ある時Oさんは、Y美の繊細な気持ちを汲まない発言をしたそうです。
Y美は、そんなOさんをとがめるために、「アスペルガーじゃない?」と指摘したのです。
こうした声を、私は至るところで聞いてきました。
Y美だけではなく。
「○○さんってアスペルガーじゃない?」
「△△さんてアスペよ」
自閉症より「アスペ」「アスペルガー」を指摘する人が多いようです。
ちなみに自閉症とは、生まれつき
1、対人関係の特異性
2、コミュニケーションの障害
3、想像力の障害
という3つに特徴(3つ組)が現れることから、診断される障害です。
知的障害を伴わない自閉症を、以前はアスペルガー症候群と呼んでいました。
現在は、従来のアスペルガー症候群も古典的自閉症も、自閉スペクトラム症ひとくくりになっているそうです。
アスペルガーの人だけが人の気持ちを理解できないのではない
話を戻すと、Y美がとがめたOさんは、社交的で交友関係が広く、コミュニケーションと言語の能力は高く、想像力も豊かな人です。
対人関係の特異性、コミュニケーションの障害、イマジネーションの障害という「3つ組」がひとつもありません。
しかも鈍感です。
感覚の鈍い自閉症者はいないでしょう。
自閉スペクトラムとは真逆のアイデンティティを持っているのです。
そんな人に、なぜY美が「アスペルガーじゃない?」というのか。
それは、「人の気持ちがわからないのはアスペルガー」というステレオタイプな障害のイメージがあるからでしょう。
つまり偏った見解です。
Y美を怒らせたOさんは、当時、自分が持てる以上のストレスを抱えてパンクしそうでした。
Oさんは、自己の感覚を遮断し麻痺させて、厳しい状況を乗り切ろうとしているように見えました。
もともと鈍感なのに、さらに鈍感になっていました。
鈍感になっていたから、超敏感で繊細なY美の心を理解しない、無神経な発言をしたのでしょう。
だからといって、Oさんがアスペルガー症候群ということにはなりません。
Oさんはただ、一時的に、人の気持ちに鈍感になっていただけです。
人は心の余裕をなくした時、自分をシャットダウンして、相手の気持ちを十分理解できなくなることがあります。
誰しも辛い状況に陥ると、自己を守るために、感覚を切断します。
そんなふうに余裕を失ってしまった相手に何が起こっているのか、目の前の人が見えない人もいます。
OさんとY美はどっちもどっちで、相手が見えていなかったのです。
人の気持ちがわからないのはあなた
「人の気持ちがわからないのはアスペルガーだ。」
そうではなく、アスペルガーだと安易に決めつける方が、相手を十分理解できない、相手が見えない可能性が大きいです。
相手を見、心を観察できる人なら、決めつけなくても、その人がどういう人かわかります。
同じ体験をしている人も、相手を直観的に把握するでしょう。
相手を理解できないから、アスペルガーというラベルを貼ることで、安心する。
なんだかよくわからないものが、「アスペルガー」という記号で解決できる。
つまり、「自分がわからない」という問題を、相手に転嫁しているのです。
相手を理解できないのは、相手の問題ではなく自分の問題です。
もし相手が本当に自閉スペクトラムならば、相手と自分双方の問題ということになります。
ラベルを貼った相手だけに、決して問題があるわけではありません。
みんな面白がる共通の話は、たいてい面白くない。
面白くないことが面白いのかもしれない
とある人の選挙を手伝い、お疲れ様会があった。
一言で言うと、あまり面白くなかった。
近所の人間関係の裏事情に興味がないのだ。
政治の話にしても、「人の心を解き明かす」真理を聞きたいのに、自分の生活実感に沿わない話題ばかり。
人生経験豊富な年配の人の、ためになる面白い話ぐらい聞けるかと期待したが、近所の誰がどうしたという卑近なうわさ話に終始していて、どれほど注意深く耳を傾けても面白くない。
新聞の社説に載っているような、もう少し理念的な話が聞きたかった。
市の現状はヒトラーが権力を持った状況に似ていないかと思うが、そういう話も聞けなかった。
目の前の人間を一生懸命観察したが、いまいち誰も面白くない。
「人間万事塞翁が馬(人生どう転ぶかワカラン)」
と言ったある老人の言葉だけ面白かった。
とにかく面白くなかったので、本を読みたいと考えていた。
目の前の人に面白がれない自分に少し悩んだ。
さっきから面白いだの面白くないだの同じ言葉を繰り返しているが、なぜこんなに面白くないのかと考え、そのことがしきりに気になって仕方なかった。
面白いとはどういうことか?
面白くないと感じるとはどういうことか?
面白くないと強烈に感じられることが、少し面白かった。
そう言えば私は、面白いとは何か、楽しみとは何か考えることに興味がある、つまり面白いようだ。
roots-amanekouko.hatenablog.jp
しかしそんな(哲学的な)問題は、政治談議の肴にもならない。
共通性の高い話は面白くない
面白くない話は、面白くないから、興味を持とうとしても、心が剥がれていく。
私は興味の幅が狭い。
面白くないものは面白くない。
みんな面白がる共通の話は、たいてい面白くない。
何事も面白がれるに越したことはないが、心の底から面白くないと思っている時に、興味を持つのは難しい。
ただそんな自分に悩んでいるので、関心の幅を広げていきたいとは思う。
おそらく1対1か、1対2~3人で話せば、興味のない話でも興味のフックをひっかけやすいだろう。
台本なしに喋れる人ばかり・・・
みんな「台本」なしにペラペラしゃべれるのが不思議だった。
私は言語障害があるので、筆記しながら会話。
「若(わけ)ぇーから」
と年配者はなんでも年齢のせいにするが、まったく関係ない。
うるさい
あちこちに雑談の輪ができうるさくて、聴覚過敏が出やしないかとハラハラした。
1対多のコミュニケーションは、本当に敷居が高い。
サウンドレベルメーターで騒音レベルを測ると、70台dBだった。
みんな鈍感
コロナウィルスに感染しないか、私は四六時中ピリピリしていたが、みな防衛意識が乏しく鈍感だった。
定型発達者との違いを強烈に感じた。
そのことを話題にする場もなかったので、ブログにメモしておく。
(2020.5.2 日記)