みんな面白がる共通の話は、たいてい面白くない。
面白くないことが面白いのかもしれない
とある人の選挙を手伝い、お疲れ様会があった。
一言で言うと、あまり面白くなかった。
近所の人間関係の裏事情に興味がないのだ。
政治の話にしても、「人の心を解き明かす」真理を聞きたいのに、自分の生活実感に沿わない話題ばかり。
人生経験豊富な年配の人の、ためになる面白い話ぐらい聞けるかと期待したが、近所の誰がどうしたという卑近なうわさ話に終始していて、どれほど注意深く耳を傾けても面白くない。
新聞の社説に載っているような、もう少し理念的な話が聞きたかった。
市の現状はヒトラーが権力を持った状況に似ていないかと思うが、そういう話も聞けなかった。
目の前の人間を一生懸命観察したが、いまいち誰も面白くない。
「人間万事塞翁が馬(人生どう転ぶかワカラン)」
と言ったある老人の言葉だけ面白かった。
とにかく面白くなかったので、本を読みたいと考えていた。
目の前の人に面白がれない自分に少し悩んだ。
さっきから面白いだの面白くないだの同じ言葉を繰り返しているが、なぜこんなに面白くないのかと考え、そのことがしきりに気になって仕方なかった。
面白いとはどういうことか?
面白くないと感じるとはどういうことか?
面白くないと強烈に感じられることが、少し面白かった。
そう言えば私は、面白いとは何か、楽しみとは何か考えることに興味がある、つまり面白いようだ。
roots-amanekouko.hatenablog.jp
しかしそんな(哲学的な)問題は、政治談議の肴にもならない。
共通性の高い話は面白くない
面白くない話は、面白くないから、興味を持とうとしても、心が剥がれていく。
私は興味の幅が狭い。
面白くないものは面白くない。
みんな面白がる共通の話は、たいてい面白くない。
何事も面白がれるに越したことはないが、心の底から面白くないと思っている時に、興味を持つのは難しい。
ただそんな自分に悩んでいるので、関心の幅を広げていきたいとは思う。
おそらく1対1か、1対2~3人で話せば、興味のない話でも興味のフックをひっかけやすいだろう。
台本なしに喋れる人ばかり・・・
みんな「台本」なしにペラペラしゃべれるのが不思議だった。
私は言語障害があるので、筆記しながら会話。
「若(わけ)ぇーから」
と年配者はなんでも年齢のせいにするが、まったく関係ない。
うるさい
あちこちに雑談の輪ができうるさくて、聴覚過敏が出やしないかとハラハラした。
1対多のコミュニケーションは、本当に敷居が高い。
サウンドレベルメーターで騒音レベルを測ると、70台dBだった。
みんな鈍感
コロナウィルスに感染しないか、私は四六時中ピリピリしていたが、みな防衛意識が乏しく鈍感だった。
定型発達者との違いを強烈に感じた。
そのことを話題にする場もなかったので、ブログにメモしておく。
(2020.5.2 日記)