マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

〈定位〉から考える聴覚過敏4 聴覚の〈定位〉

 視覚と触覚は、聴覚の<定位>を構築する強力な助っ人です。けれども視覚単独では、視界に映じる物体表面の奥に関係の網を張っている、現実世界の「気配」までを把握するのはむずかしいです。また、触覚単独で空間の実在を捕捉することはできても、「気配」までは聞きとれません。

 

 味覚と嗅覚は近視眼的な接触しかもたらさず、単独では<定位>を確立するには至りません。それらの感覚は、全方位に意識を拡張し、その反響を感知するには、接触面が局限されすぎていて、情報の質が単純であると感じます。

 

 聴覚に、音を発する物体や生物との直接的な接触はありません。それでも聴覚には、触覚に近い、何かにさわる感じがあります。リラックスしているときは平気ですが、心身の状態が悪いと、皮膚ばかりでなく、全身に張りめぐらされた神経や、ときには内臓や筋肉にびいんと響く、さわる、たたかれる、ときには刺さるように感じます。それは身体の内部に侵入されるような非常に不快な感覚であり、しばしば痛みや疲労をともないます。

 

 聴覚は、地上で流動して循環する生物や無生物、特に人間世界のネットワークが、自分とどのような関係にあり、自分はどの位置と定点で均衡を保てばよいのかを、触感的な「気配」との接触を手がかりに<定位>します。聴覚が聞いているのは、体表面を境界にした外界に向けては全方位的な関係の音であり、内界に向けては記憶の音です。

 

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 ところで、はじめに述べた<定位>の辞書の定義のうち最も重要なのは、二の「能動的に」という点です。受動的に位置・姿勢を定められる、たとえば周囲の大人から無理矢理イヤーマフをつけさせられる(そんな状況があるかわかりませんが)のは効果が薄く、本人の内発的な意思によってイヤーマフを選ばなければ、<定位>にならないということです。

 

 なぜ能動に着目したかというと、過去の聴覚過敏記録を読み返していると、自分から対象に強力にはたらきかける動機があって、主体的に音にかかわっているときは、どんなやかましい状況でも平気なことが多くあったからです。ほんとうにいままで聴覚過敏だったのか、治ったんじゃないのかというぐらいケロリとしていたからです。そうかと思えば、受動的で傍観的な姿勢が戻ったとたん、あのいまいましい音の洪水がやってきて、ガッカリするのです。それぐらい受動状態と能動状態の音の感度は違います

 

 悩ましいのは、自閉症スペクトラムの人は、積極奇異型と言われる人はともかく、受動的な人が多くいるということです。自分から動けないと、音の圧力に負けて劣勢になってしまい、それまで自分を守っていたあれやこれやの防音策も、ドミノがなぎ倒されるように一緒に倒れて無抵抗になってしまうことがあります。防音器具で防ぎきれないほどの聴覚過敏をもっている受動的な自閉症の人は、<定位>の姿勢を保つのがむずかしく、騒音から身を守るのにいっそうの困難があります。