〈定位〉から考える聴覚過敏7 〈第一陣〉に穴があく
とはいえ、音を「受け止めて反応(レシーブ)」できるときがないわけではないのです。目の前の重要な音や心地よい音に集中して、自然にフォーカスできる時間はあります。
とりわけ好きなこと、ワクワクすること、興味のあることに一心に没入しているときは、対象に効率的に反応(レシーブ)しやすいです。この防御的な集中力を<夢中ガード>と名づけています。
<夢中ガード>がはたらくときは、一般人の聴覚反応と同じように、まわりの余分な雑音はカットされています。けれども、夢中になれる対象が目の前になく、<夢中ガード>が機能しないときは、騒音を防御する壁が崩れやすいのです。
戦において、拠点となる本丸のまわりに防御陣営を敷いている布陣を思い浮かべてみてください。
仮に、人が自動的に選択できる目の前の必要・重要な音を、<第一陣>と命名してみます。本丸の私の周囲には<第一陣>が布陣されていて、通常そこで世界と折衝します。そこに穴があいて、より遠方の微細な<第二陣>の音がちん入してきます。さらにそこにも穴があいて、もっと遠方の<第三陣>の音が飛び込んでくるといったイメージです。
<第一陣>の壁が薄くて、もろくて、崩れやすく、穴があきやすいのです。<第一陣>に向き合っているときは一時無意識になりますが、フッと壁が崩れて<第二陣><第三陣>の先鋒が侵入してくるとき、穴があくたびに、そのつど自己意識が顔を出します。
一方、選択的注意のできる人は、<第一陣>に穴があきにくい、もしくはまったくあかないそうです。たとえば、電車の車内放送を聞いていると、乗客の会話が聞こえてこない、聞き流しやすいなど。
音を聞くことは意識の問題でしょうか。たとえばカレンダーを見るとき、数字が見えると焦点が合っていると言えます。ところが、数字と同時にカレンダーの罫線にも焦点が合ってしまうと「読めない」。
聴覚過敏もこれと同じで、カレンダーの罫線に相当するのが雑音です。<第一陣>は、雑然と拡散した背景情報とは真逆の、いままさに焦点を結ぼうとしている情報の流れです。その焦点に、ほかのさまざまな背景情報が同時に重なると、対象を自然に認識する流れがとどこおることになります。
ものを見たり聞いたりするためには、「意識の焦点が合う」ことが必要なのだと思います。心が世界の何をつかむか、心が世界にどう向き合うかという、人格にも結びつく認識の流れに組み込まれた姿勢や方向性があって、世界があらわれてくるようです。聴覚過敏になったりならなかったりするのだと思います。