マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

〈定位〉から考える聴覚過敏3 〈定位〉の発見(2) スルリとはまり、なじむ

 これは、ある日の<定位>の成功体験です。

 

 そのころ私はひどい聴覚過敏で、静かな室内でも超音波はピリピリとがっているし、一歩外に出れば「音の壁」がジワジワ身体を締めつけ侵襲してきて、音圧そのものと化した空間が、十方から迫ってくるようでした。

 

 そうした聴覚過敏の苦しさを、発達障害者に対応した経験のあるAさんに話したところ、炯眼のAさんは、私が多くを説明しないうちに、一発で症状のからくりを見抜きました。すると痛みと雑音がしずまり、身体が世界に調和して居場所を与えられ、抵抗なく音の海の上に浮かんでいられるのを発見しました。

 

 私はその「変容した身体」で、これまで騒々しくて行けなかったあるスーパー内の店へ突入してみました。身体が波紋のない池の水面のようにしいんと落ち着いており、強引に侵入される圧覚がありませんでした。私はいつもつけているイヤホンの片側を、半分だけ外耳道から外してみました。ミュージックプレイヤーの音楽を聞きながら、身体は店内音楽の流れる空間にジッと佇みました。いつもならザワザワ浮き足だって逃げたがる身体は、悲鳴を上げずにそこにいました。

 

 空間は身体に両手を伸ばし、私が悲鳴を上げないので、そのままスルスルとなかにすべりこんできました。そうっと抱き抱えるように。身体は空間にとり込まれ、とり込んだ空間を、身体も吸収しました。私は商品が並んだ什器の棚を目で追いながら、「もういい」とか「逃げたい」とか思わないで、美しい模様や心惹かれる色彩を探し続けました。気づけば身体は、空間のなかに居場所を与えられたようにスルリとはまり、なじんでいました。空間と私は、同じ方向を、商品が並んだ什器を見ていました。空間は、商品を手に入れるように促していました。私と空間は、対決しないで一緒にそこにいました。

 

 私はミュージックプレイヤーをすべて外しました。いつもならわずかな時間で痛みを発する首筋は、三十分たってもビクともしませんでした。身体は空間に完全に同化していました。私は、当たり前のようにそこにいる自分を発見しました。大音量の店内音楽が、身体を侵襲しないで、すり抜けるのを聞きました。

 

 こうして、空間から与えられたちょうど私の形をした空隙に、私自身も自己の位置を定立しました。これが<定位>です。