マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

「STIGMA FREE」リニューアルのお知らせ(2) A型事業所でスサマジイ嵐が吹き荒れた

ブログをやめてから

2013年に閉鎖した弱小ブログ 「STIGMA FREE」を見てくれていた人が、今いるかどうかわかりませんが、もしいらっしゃったら、少し近況報告を。

6、7年前なので、絶対いないだろうけど……。

 

ブログを書いていた当時は、A型事業所で働いていました。

けれども、ものすご~く端折って書くと、そこで○○な体験をしました。

○○に入る言葉は、過酷、深刻、不条理、悲惨、目茶苦茶etc...どんな言葉も、それはその通りなのですが、しっくりきません。

「外面的な事件」という観点からすると、たいしたことはないのかもしれません。

でも、私の心の中が、スサマジイ嵐でした。

 あまりにいろいろありすぎて、なんと表現したらいいんだろう……。

 

とても一言では言い表せない。

 

なので、代わりに、詩を載せます。 

 

スサマジイ嵐

【告発2】

 

障碍を携えながらも

世に出て働く術はないものか

門を叩いた社会は

〇、一%にすら 至れるか疑わしい

マイノリティの困難を

ドウッテコトナイデショと

あしらった

 

  ここはお前の来る場所じゃないから

  あっちへ行けばいい

  お前が犠牲になればいい

  お前が我慢してあきらめて

  みんなに合わせればそれで済む

  全てはなかったことになる

 

その結果

過酷な後遺症が

ひとりの肩に残された

 

持病悪化と正体不明の症状頻発

不自由は新たに負荷され

甚大なる精神と肉体の苦痛は軛となって

生の希望と未来を封印した

 

それもこれもすべて

「相性が悪かった」ゆえ

私にも責めを負うべき点が

ないわけではなかったと

悟ったものの

 

  障碍もて入所した結果の

  集団からの排除

  就労のため訓練した結果の

  労働の不能

  社会参加を目指した結果の

  居場所の剥奪

  困難の克服を求めた結果の

  障碍の増加

  隘路を開拓した結果の

  前途の遮断

 

人生に

取り返しのつかぬ大穴をうがたれ

無残にも

台無しに ぶち壊しに 滅茶苦茶に

損なわれたまま

一身に背負う肩は

長きにわたる年月耐えて顧みられず

人知れず永続した月日を

全部なかったことにして

忘れ去る社会を目に

後遺症の爪痕に残る

被害 損失 剥奪 破壊の

恥辱を強いられる不条理の

痛みよ 怒りよ 悲しみよ

奪われた自由の

無念よ

 

ゆえに私は告発する

失われた人間を取り戻すために

ペンをもて

新しい人間を確立するために

 

 

   *  *  *

 

う~む、恨みがましいし、痛い……。

我ながらヒッドイ作だなあ……。

素材を、事実をボンとそのまま書くのはいただけない。

詩とも呼べない、見るに堪えない駄作。

こういうのは、散文で書かなければ。

ただ、「手記」「自分史」としてなら、私の歴史資料として伝わるものはあるかもしれません。

 

そういうわけで、スサマジイ嵐が、この7年、吹き荒れました。

ドナ・ウィリアムズ『自閉症という体験』との対話 2 詩「鍵を知る者」

【鍵を知る者】

   ―ドナ・ウィリアムズに贈る―

 

 

鍵を知る者よ 教えてほしい

わたしがなぜここに 繋ぎ止められているのか

母なる器

痩せ果てた大地の封印に

縛(いまし)めを解(ほど)く 型はどこに

秘匿されているのか

 

  ――組み敷かれた魔方陣

  ――解けない鍵穴

 

ふたつでひとつのからくり

片割れを抱えている あの雲に

差し伸べる大地の稲穂が

なぜ届かないのか

わたしはひとりで

硬い土に水をやり

稲穂を鍵の凹凸に変えようとする

けれども鍵は ふたつでひとつ

雲は 持ち去ったまま

 

鍵を知る者よ

あなたはあなたの頭上へ

あなたの長身よりも遙かに

振り解(ほど)いていった

縛めを解く 型となって

母なる器はあなたを飲み尽くしたあと

久遠の沈黙にばら撒いて

ふたつでひとつのからくりを

無数に降り注いだ

 

  ――蒼穹の歌声

  ――粒子の遠来

 

鍵を知る者よ 教えてほしい

痩せ果てた大地を 脱ぎ捨てる

鍵の あなたの

遍(あまね)く在処(ありか)を

 

  *  *  *

 

この作品は、コミュニケーションできない悲しみを、ドナに語りかけて書いた詩です。

自閉症という体験』を読んだあとに思い浮かびました。

 

一気に人が増え、状況が変わり、苦手な人も来る……ビンゴで苦手…

なんでこんなに来るんだ(泣)

ある文学会に1年前から参加しています。

いつも、総勢5名のメンバーで文学談義し、作品を発表します。

私は毎回、聴覚過敏手記を発表しています。

メンバーには、最初は対人恐怖がありましたが、今は慣れ親しんでいます。

 

ところが次回、メンバーが一気に4名も増えるうえに、苦手な人が来ると、主催者から連絡が。

 

ビンゴで苦手な状況すぎる。

 

対人恐怖と、コミュニケーションの困難と、状況理解の困難と、感覚過敏があるのに……。

 基本、二人以上の人とやりとりするのに抵抗があるのに……。

 

なんでイキナリこんなに来るんだ!

こんなに来なくていいじゃん!

やめてー! 切実にやめてー!

いっそ誰も来ないでー!

困ったなぁ……。困ったよぉ~。

でも貴重な外出先だし、このまま欠席するのもなぁ……。

 

パニックキケン

  • 人が多すぎる
  • 突然の環境変化
  • 状況理解が追いつかない
  • 言葉が飛び交う
  • 苦手な人が来る
  • 状況が複雑すぎる
  • 刺激(温度、匂いなど)が多すぎる
  • とくに音がうるさい!

 

過去、この状況で何度パニックに陥ったことか……!

 

憂鬱だなぁ……。

恐怖だなぁ……。

なんとかならないかなぁ……。

 

こんなルールがあったら……

「とりあえず気が散るものを片づけてからしゃべる」トカ、

「50デシベル以上の音を立ててはならない」トカ、

「匂いが立ったら即座に脱臭する」トカ、

「温度と湿度を心地よく一定に保つ」トカ、

「自分の定位置から動いてはならない」トカ、

「しゃべる時は絵つきで説明する(ホワイトボードを準備して!)トカ、

「一日につき一人としかしゃべってはならない」トカ、

「一度に二人以上の人としゃべってはならない」トカ、

「暗黙の了解はすべて白日のもとにさらす」トカ、

「空気を読んではならない」トカ、

いっそ、

「口を開いてはならない」トカ、

「一切雑談をしてはならない」トカ、

 

ルールを設けてくれないかなぁ……。

 

 

はぁ……。

 

発達障害について何が言える? パトスの思いつきでものを言うのに嫌気が差した

聴覚過敏のリハビリに、病院で音に“被爆しながら、スマホで記す。


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ロゴスのない文章が嫌になった

2011年から2013年までの記事は、発達障害について思ったことを思ったままに、ポンと吐き出すように語っていた。

針のような直感をもち、下手なりに詩を書き、パトス(情念)が優勢な私の物の見方は、「鋭い」こともあったかもしれない。

けれども、あるとき嫌になった。

みずからのロゴス(論理)の乏しさに――。

 

思いつきでものを言う。素直。

それは大事かもしれない。

けれども論理は、ロゴスはどこにある?

 

何も知らない、何も言えない

発達障害について「知っている」のは、じかに体験したことだけだ。

しかし、失敗した、失敗したと惨めな日常をさらす情けなさ。

 

では、発達障害「論」を語るか?

自己分析できる。やれないことはない。

しかし、論理を展開するには、根拠があまりに乏しい。

何十年と受け継がれる、質の高い過去の文献を、調べて分析しなければ、ものなんて言えるものではない。

発達バブルの現在、山のように溢れる情報の不確かさ。胡散臭さ!

発達障害ひとつ取っても、正確なことは何も言えない。

自分が体験したことしか語れないのだ。

 

「ものを言う」にはあまりに、精緻に裏を取る余裕なく、根拠は乏しく、ロゴスが足りない。

私は何も知らない。

そんな自分に苛立つ。

思いつきでパトスをぶちまけ、いい加減なことを言う自分が、嫌になった。

過去記事を読み返すのに抵抗があるのは、そのせいだ。

 

ものを言うのは難しい

けれども今度は、そんな萎縮した状況にも嫌気が差す。

日々、山のように思い、考えることがあるのに。

ロゴスが足りない自分を、私は猛烈に恥じている。

だからと言って、パトスを押さえつけていると、自己表現の最初の一歩が踏み出せなくなる。

語らず萎縮するのは、避けたい。

それに、パトスしかない文章にも閉口するが、ロゴスばかりの文章も、つまらないものだ。

 

「ものを言う」のは、難しい。

パトスの力を借りて自己表現の一歩を踏み出し、ロゴスの羽でより高く飛びたい。

そんな文章が、書きたい。

 

  *  *  *

 

書き始めて1時間半。ここで筆を置く。

音に乱されず、集中して書けた。

いつしか音は、「違和」ではなくなっていた。

 

 

奪われた者の言葉を、沈黙を強いることで再び抑えつける

暴力を受けた人は、自分の身に何が起きたのか、理解することができなくなる。「自身との関わり方と世界との関わり方という二重の意味」で、その根幹を揺さぶられ、沈黙を余儀なくされる。加害者は、被害者の沈黙を望み、その犯罪の痕跡を消し去ろうとする。

 

暴力によって、沈黙を強いる。沈黙させることで、生きる権利を剥奪する。

 

聞く側が言葉を要求するのではなく、こぼれてくる言葉を拾い集める。そのことで、人間は回復する。沈黙からの言葉が生まれるのをゆっくりと待つ。

 

朝日新聞書評(日付不詳)『なぜならそれは言葉にできるから』に寄せる武田砂鉄の書評「人間的であろうとするために」

 

言葉が出ない。
(どうでもいい言葉は出るけど、肝心なことは、言葉になる前に押さえつけられる)

心の地底にこびりついた言葉が、浮上しない。
長い間、ずっと。
無意識の世界で受けた長年の抑圧。
そのことが私の「人間」を奪う。

 

人間の痕跡を刻もうとすること。
もう一度生きようとする人の言葉を、君は奪うか。
そうすることで、二度暴力を振るっていることを、知らずに。

 

言葉に出すのが怖い。
暴力を振るう者がいるから。
言葉にならぬ者の声を、無理矢理抑えつけようとする者がいるから。
相模原障害者施設殺傷事件の犯人のように。

自己表現の火花は散る 芸術というメッセージ

芸術かメッセージか

生きることは芸術であり、爆発だ。

 

芸術の世界では、自由は、おのれの決意次第だ。
今すぐ、誰に遠慮することもなく、
なにものにも束縛されずに発揮できる。
社会に対して、ぶつけたいメッセージがある。
言わずにはいられない。
ならば、当然、表現のスタイルが決まってくる。
内容が形を決めるんだ。
どう表すか。それは自分次第。無限の自由がある。

 
芸術はメッセージだ。
伝えたいものがあるならば、言うことは自ずから決まっている。
いちばん適格に、言いたいことを表す形はなにか。
それは自分にしかわからない。

 

今、この瞬間、まったく無目的で、無償で、
生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。
それがすべてだ。

岡本太郎『壁を破る言葉』

 


基本、私がやりたいのは自己表現であり、芸術だ。
だからほんとうは、読者を意識するブログを運営するには向いていないのだろう。
ブログは芸術ではないから。
しかし、メッセージはある。
岡本太郎は、芸術はメッセージという。
誰に? 何を? 伝えたいのか?

 

 

グループ展をやった時、「人目」が火の粉のように落ちてきた。
それは自己表現の自惚れが、火花のように降り注いだようだった――。

 

 私は恥ずかしかった。
 詩集を読み返すと、訴えばかりがヒステリックで、被害妄想的で、自己中心的で、子どもっぽい気がした。グループ展に客を来させるだけ来させて、こんなのをぶっつけて。バツが悪かった。後味が悪かった。悲痛な叫びにならざるを得ないいきさつと重荷が私にあった。けれども詩としての表現は稚拙だと思った。
 さらに、電子書籍のデータを整理していると、目を覆いたくなる未熟さを発見する思いだった。イヤらしいむきだしの恥ずかしさ。こういった致命的欠陥に目をつむって、井の中の蛙が恐竜になって飛び出すがごとく、よい点のみを身内自慢されることに抵抗があったと気づいた。
 グループ展という花火が、無言の指弾となって落下してくるようだった。芸術家の岡本太郎は、見て通り過ぎたとたん忘れてしまうような「あら、いいわね」は、「どうでもいいわね」と言われたのと同じと言っている。
 「どうでもいいわね」の火花が、落ちてきたのではないか――。
 彼らの無言は一様に似ているように思われた。何か批判があるようなのに、善人の微笑みに漂う無言。それが不気味で、そのわからなさが聴覚を増幅させていた。
 愛想笑いで拡散したうぬぼれが、今ごろ無言の火花のかすとなって聴覚過敏に降り注ぐ……。
執筆中の『踏まないで! ―ある自閉症者の聴覚過敏手記―』第11章から

 

 

【火花】

まるまるふとった恐竜を
井戸から一発打ち上げて「おらが娘ええ娘」

  何事ぞ何事ぞ
  門々に放たれる

大輪の向日葵が
夜空にひらく

  何事ぞ何事ぞ
  たかる蝿の群れ

爆ぜる火の粉
漆黒のキャンバス

  アライイワネエ
  書き割り踏んづけた

――落下
一夜の開花
降り注ぐ
火花の破片

 


これとまったく同じイメージを、新聞小説に発見した。

 

名もなき者が話題に上り、一瞬で有名人になる。だが、忘れ去られるのも一瞬。力強い音が響いた気はするが、何だ何だ、と思っているうちに、もう次の音が鳴っている。人々の目に映っているのは、特徴的な音を轟かせた発生源の正体ではなく、たくさんの音が鳴っている賑やかさそのものなのだ。誰がどんな音をどんなふうに鳴らしたのかはどうでもいい。そこらじゅうで色んな音が鳴っている喧噪の中で踊るのが、楽しいのだ。

 

空を埋め尽くしていると思っていた花火がすべて偽りで、天に鳴り響いていると思っていた音はすべて出鱈目だったと種明かしをされたようだった。

朝日新聞連載小説 朝井リョウ「スター」35

 

 

力強い響きに幻惑されない耳を!
偽りに曇らない眼を!
そうした眼と耳を、どんなに欲することだろう。

「STIGMA FREE」リニューアルのお知らせ(1) 過去記事復活中

「STIGMA FREE」リニューアル

今更ですが、2011年から2013年にかけて公開していた「STIGMA FREE」をリニューアルしました。

過去記事を少しずつ復活中です。

過去記事から、カテゴリーから見ることができます。

 

「STIGMA FREE」を休止していたわけ

 管理人プロフィールでも書きましたが、

  • 直観にまかせていい加減に文章を書いており、あまりに未熟で、見るに堪えない
  • 就労がうまくいかなくて、惨めな身辺雑記を発表するのがいたたまれない

理由で、正視できない記事ばかりでした。

 

このたび、過去記事の多くは削除して、見られるものだけ推敲して、再び公開することにしました。

それでも、過去の文章は直観だけで適当に書いているから、読み返して穴があったら入りたい気持ちになります。

現在でも、記事をアップして1週間たつと、粗が見えてきて、猛烈に削除したくなることが。

過去記事は未熟です。WEB上に晒すのがいたたまれません…。

だったら最初から公開しなければいいんですけど…「今、自己表現したい」衝動が強く、つい勢いで公開してしまいます。

アップする時は勢いでするけど、あとで恥ずかしくなって消したくなる。

そんなことの繰り返しです。

 

なんて粗・隙・穴・糞・瑕疵・ボロ・ゴミ・カス・クズ・ホツレ・ホコリ・ダニ・花粉(もはやどう形容してよいかわからない)だらけで恥ずかしい無知な文章なんだ。

消え去ってしまえーぃ!!

 

……とよくわからない自分の基準で勝手に恥じておきながら、まわりからどう見られているかにめちゃくちゃ疎いという……。

あなたの成功体験を普遍化しないで

当事者会で、関係の本で、よくある。

 

発達障害だけど○○できました。
発達障害だけどスゴイ成功してます。

 

・・・ま、自分もやってしまっているカモしれませんが。
今、実際、発達障害だけど、文章書いてるので……。

 

しかし、成功アピールは全然届かないですよ、心に。
あなたの成功体験を、成功者の視線から、普遍化しないでほしい。
お前が言うな。
って感じになるんです。

 

どうしてもうまくいかない人がいるんですよ。
あなたと私は条件が、環境が、スタートラインが違うんです。
「それができる条件」があるんです。

その条件を手にできるかどうかは、運次第です。

 

社会的成功者とは傲慢かつ単純な人種が多いので、自分の成功を普遍化したがる。こんな自分でも成功した、だからみんなも諦めずにやってみたら、という『謙虚な』姿勢の裏には、臭いほどの自負心が渦巻いている。しかも、底辺から自力でのし上がって来た人ほどこの臭気は強い。気力とは、抽象的に湧き出てくるものではない。その人の過去の人生の全風景の中から立ちのぼってくるのです。Aさんは勇敢に信念をもって生きつづけ、その結果として現在の成功がある。しかし、それをBさんに当てはめることは、普通できないのです。

(中略)いかなる逆境にあっても、それを吹き飛ばしてたくましく生きようとする人はそれでいいのです。でも、そうできない人って、しかたないんじゃないですか?

(中略)こうして、膨大な数の若者が一五歳で、二〇歳で、三〇歳ですでに人生に敗れているのです。成功者は『そんなこと乗り切らなくちゃ! 若いんだから、人生長いんだから』とのたまう。しかし、あなたが成功したのもかなりの部分運だったんじゃありませんか? あのときあのことがなければ、あなたの人生はがらっと変わっていたんじゃありませんか? そしたら、陰惨きわまる人生を歩んだかもしれない。マイク片手に酔いしれているあなたは、このことを謙虚に認めねばならないのです。

中島義道『私の嫌いな10の言葉』227~229頁

 

死者を継ぐ声

逝っても

大丈夫だよ……

 

弱いから

わたしが先に逝くかもしれないけど

弱いから

あなたのこと感じられるよ

 

わたしが感じているかぎり

感じるひとが感じているかぎり

あなたの思いは

いつまでも聴こえているよ

 

一筋の道がシャボン玉になるから

あなたの声は風に乗って

遠くまで届けられるよ

蒼空(そら)の果てまで

 

感じるひとが

それを聴いてる

 

 

死者を継ぐ声

 

アイデンティティを照らし出す自閉症【詩】

自分を照らし出すもの

 

 

 

カンテラ

 

巌(いわお)が暗がりに沈む

闇黒(あんこく)の洞窟を行く

湿った石灰岩に沿って

奥、奥、そのまた奥深く――

道の尽きた壁に

肉厚に隆起した

透明の膜を着膨れて

沈黙に鎮座する

異形の塊

――それがわたし

 

君よ カンテラに灯をともし

その手に掲げ持て

そうして黒く染まった足下を

明らかに照らし出し

ここまで歩みきておくれ

 

  カンテラを掲げるな

  お前はたちまち

  狙撃されてしまうだろう

 

君は知らないのだ

この照明なしに

洞窟を 闇黒(あんこく)を

寒天の着膨れを

わたしと君を隔絶している白壁を

決して見ないことを……

 

  カンテラを掲げるな

  カンテラはなくとも

  お前はお前でいられる

 

君は知らないのだ

お前とわたしの基軸を駆動している

車輪の型が異なるからくりが

透明の檻を産み出した

はじまりの物語を……

カンテラの照明なしには

晒せない素肌を

永遠に行き交わない言伝を

秘められた仕掛けを

 

君よ カンテラを掲げよ

そうして洞窟を 闇黒を

明らかに照らし出し

ここまで歩みきておくれ

君よ わたしが見えるまで

君よ わたしに至るまで

 

 

 

自分を照らし出すもの

 

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【ひとこと】

絵も、詩のイメージも、どことなく禍々しいですが……。

ありのままの自分を、アイデンティティを照らし出すもの。

……をイメージして、「カンテラ」に代入していただければと思います。

私は「自閉症」をイメージしました。

 「――それがわたし」は要らないかな?

あったらメッセージ性は出るけど、ないと文中の「わたし」が弱まるかな。

また推敲するかもしれません。