マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

広汎性発達障害の診断と、その意義について(2)

以上のように、いろんな理由から、私にとって必要な「診断」ですが、さらに突っ込んで、診断の意義を考えてみます。

 
診断は、主観的なものでも客観的なものでもなく、自分と、自分が選んだ医者の2つの合意・納得・関係性によって成り立つのではないかという気がしています。
医者が診断を下し、自分がそれを受け入れ、納得するというプロセス
このことで、初めて診断が成り立つのではないかと考えます。
納得できなければ、別の医者の意見を聞きます。
そんなふうに、複数の医者がさし出した何枚かのカードを、トランプをひくように、受け取り、選びます。
最終的に、やはり、自分の直観が決め手になると思います。
 
私は、納得して受け入れた診断を、こう捉えています。
診断とは、その人自体ではなく、個性ではなく、またその人に貼りつけられたラベルでもなく、「私という未知の洞窟に足を踏み入れるための“ともし火”」「私という暗がりへ導く“道しるべ”“手がかり”」であると。
自閉症の人の多くは、定型発達者に伝える言葉や表現が不十分です。
まったく言葉を持たない場合もあります。
そんな彼らと、どうやってコミュニケーションするのでしょう。
私は、彼らの洞窟に進み入るために、彼らを長年観察・研究してきた 医学の知恵と蓄積を借りることで、道が開ける場合があると思います。
そうやって個人の傾向を照射し問題に対応していくなかで、個性を浮き彫りにしていけばいいと思います。
 
私にとって広汎性発達障害の診断とは、個性というより「自分を知り、社会的理解度が低い=多くの人にわかりづらい困難に対処し、他者と相互理解を深めるツールとなる“知恵の蓄積”」です。
自分をより深く知るためのツール。
より深く知った自分を他者に紹介するためのツール。
そして、相互理解を深めるためのツール。
そのために、診断を利用します。
他にも、市民社会を生きるパスポート(森口奈緒美さんのコメント)としての意義も、全面的に賛成します。