マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

過酷だった以前の職場(7) 人間の可能性

現在、雇用する側ばかりでなく、障害者職業センター等の支援機関に話を聞くことが多いが、多くの関係者が私を「枠にはめて安定させる」ことばかり考えているのではないか、と思う。

フォローは手間だ。面倒だ。必要性を感じない。」
それは、雇用する側の本音という。
かつてのメンターの驚異的な人間育成術と能力開発術を知った私は、それが、能力開発の可能性を知らない人々の無知や言い訳のように思えること「も」ある。
能力開発に積極的でない人には、メンターの卓抜した「手腕」を知ってほしい。
 
メンターは、己のずば抜けた知恵と工夫だけで、「何もできなかった人間」を、高みに引き上げていった。
人間育成や能力開発の技術ばかりではない。
その人には、いつも深い愛情があった。
 
自分に「余裕」がなければ、他人のことなど、とてもかまってはいられない。
そのことがときに、人間関係に誤解やひずみを生じさせたり、殺伐としたストレス状況を脱する出口を塞いでしまうこともある。
けれども、その人は、どんなに「余裕」のない時でも、たとえ「余裕」の目盛が0であっても、必ず、他人に与える人だった。
その人は、知恵と、潜在力の開花と、許容を、私に与えた。
私に、感情的なつながりは通じにくい。
けれども、その人の姿勢を見ているだけで、自分の中に何が欠けているか、鏡を見るようにわかった。
そして、その人に見守られているという安心感が、私の努力の一歩一歩を継続させた。
 
優れた人は、説教や押し付けがましいアドバイスはなくても、その姿を見ているだけで、自分を成長させてくれる。
私はメンターの姿に、ヘレン・ケラーの家庭教師サリバン先生を重ねる。
そして、メンターが残したものを考えるとき、能力とは何か、人間の可能性とは何かに思いめぐらす。
私が、職場の過酷なサバイバル環境で、しがみついていられたのは、メンターの存在によるところがきわめて大きい。
事実、メンターが辞めてすぐ、過酷な環境がさらに悪化して、後を追うように、辞めざるを得なくなったのだから・・・。