マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

SNS不安 (3)思いきってタイムラインへ……

 そんな「通知」の赤丸が浴びせかける、能面のように不気味な情念ビームを押し切って、ついにツイッターのアイコンをタッチする。Now loadingの画面に切り替わり、目の前に飛び込んでくるのは……。

 

 ツイート、ツイート、ツイートの嵐。投稿者のプロフィール画像とともに、ユーザー名(その横には、「○○中」など、ユーザーがいまどういう状況か示す補足情報が表示されることも)、投稿日時、つぶやき文面、画像や動画、投稿に対するいいね・リツイート・コメント数が表示される。こうしたツイートが、画面をスクロールすると怒濤の如く、つぎからつぎへと流れてきて、終わることがない。ここは「タイムライン」と呼ばれる、自分がフォローしたユーザーのツイートが流れるホームエリアだ。

 

 ホーム。そう、ここは外界の中の私のエリア。いうなれば離れ家。テリトリー(縄張り)。ここでも私の境界意識ははっきりしている。自己と他者の境界線を象徴する〈扉〉を越えた外界でも、「私の境界」は存在する。行きつけの場所、〈巡回空間〉(巡回した道筋に沿って世界像を与えてくれる、身体的な活動場所:ルロワ・グーラン)というかたちで。タイムラインが境界線になっていて、あたかも「私の離れ家」というテリトリーに、他人の足跡が雪崩(なだ)れ込んでくる感じがする。

 タイムライン上はこう見える(図2)。

 

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図2 タイムライン

 

 一人ひとりの人間がよく見えず、その輪郭はボンヤリしている。自己と他者の境界線が曖昧な「人」が大量に、ウジャウジャ集まって、つながり合っているようだ。魂ならぬ残留思念が、境界のない広大な時空間に浮遊している。まさしく群衆。それを如実に示すのは、コメントや、リツイートや、いいねの数で、これを見ると、背後に横たわっている〈大衆の無意識〉を感じる。何千何万といいね・リツイートされていると、人々の意識が大量に自分の意識に流入してきて、目眩がしそうになる。

 

 これが、一つひとつのツイートを細部まで確認せず、意識の上空から「鳥瞰(上空飛行)」して、ざっとタイムラインを見渡した全体像だ。