マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

SNS不安 (4)タイムラインはノイズの大海

 タイムラインを「鳥瞰」すると、視界を覆っているのは、取得したい情報ではないノイズが多い。

 

 まず、おすすめユーザーとか、「眠い」「○○したい」などのドウデモイイつぶやきとか、目をチカチカさせる広告は、煩わしいノイズだ。

 

 不特定多数の人に共感を求めるリツイートは、たいていノイズだ。多数者の関心と自分の関心は重なり合わないことが多い。感情移入すれば共感できないこともないが、そのときはスイッチが切れている。一対一で「ねぇねぇ、聞いて」と共感を求められると、目の前の人を理解しようという思いからスイッチが入るが、タイムラインという「広場」で求められる共感は、自己意識への侵食になってしまう。それに、リツイートの知らないプロフィール画像、ツイートのことば遣い、人々の反響を示す数字、誰がリツイートしたかを示す文字など、あまりにも情報が多すぎて、気が散ることこのうえない。しかし、スルーして、意識をさらに「上空飛行」させると、共感のスイッチは完全に切れてしまい、それらはもはや下界に漂う無意味なノイズでしかなくなる。

 

 あるユーザーと互いにフォローする関係になって、コミュニケーションを求められると、感情的な負担を感じて、その情報を取り入れるまいという自己防衛意識が頭をもたげることがある。取り入れるか、取り入れないか。選択を迫られて、取り入れて反応することもあるが、いまはやめておこうと意識の「上空飛行」に至ることもある。取り入れないと無意識に判断した情報は、鮮明さを失い、ノイズと化す。

 

 LIVE(生情報)の流動感を強く感じさせる動画は、刺激が強すぎて気が散ってしまい、共感できる内容であっても、そのスイッチが入る前に、心がシャットダウンすることがある。点滅していたり、動いていたり、こっちに迫ってくるものがあると、落ち着かない。動画は「こちらから見に行く」ものであって、「見せられる」ものではない。

 

 ツイッターの醍醐味である「流行」や「最新情報」には、ついていけない不安から拒絶する心理もあるが、ほとんど興味が湧かない。100年、1000年の風雪に耐えうる「流されない情報」を自分に同化したいから。それなら、図書館の閉架書庫をあさったほうがよい。

 

 こうなると、タイムラインを埋め尽くしているのは、ほとんどノイズだらけということになってしまう。いったいなんのためにツイッターをやっているのか。自分にも「興味」があるはずなのに、なぜこれを、「興味」だけで埋め尽くしたタイムラインに見出せないのだろう? と不安になる。