マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

開通―コミュニケーションの封鎖が解かれるまで― 4 文学会でチャンネル開通

 それから間もなくして、不思議な出来事が起きた。

 

 私はある文学会で、詩や体験記などの文章を発表していた。

 

 ある日、横光利一の『花園の思想』を朗読した。それは、テキストの文字を目で追うと、映像が鮮やかに浮かび上がる迫真の描写だった。

 

 保険証の一件以来、コミュニケーションできない無力感に打ちのめされていたが、鬱状態でグッタリしていた心はムクムク起き上がり、目の前の世界を掴まえようと目を凝らし始めた。だが、何を意図してこの作品が書かれたのか、作者の美学を理解するには、しばし時間を要した。

 

「何が言いたいんだろうねえ、この小説は……」Sが私の考えを汲みとるように言った。

 

「ですよね。今…同じことを…考えていました。いまいち作者が…何を言いたいのか……」

 

 私は舌の重さを感じながらSに同調した。意見の一致をみて、voice(音声)の溶けた空間に体を波乗りさせる運動感覚が少しずつ立ち上がってきた。〈卵の殻〉の内部では、外界の事物が目に見えていても、現実感が乏しい。そこで、世界が存在する実感を得るために、テキストの気になったことばに丸をつけたり、傍線を引いたりして、ガンガン書き込んだ。手や口を動かすと、波乗り感覚はいよいよ加速して、文字のことばもvoiceのことばも届きやすくなった。

 

「死の美学について言ってるんだよ」とK。

 

「『これだ』(主人公の心の声)ってことを…言いたいんでしょうか? ……花のような…死の美しさを?」私は考えながら、訥々と答えた。

 

 こうしたやりとりを交わしながら、急速に自分を取り戻しつつあった。話者のvoiceを足掛かりにして、解読したい〈世界の意図〉が、地図の巻物が解(ほど)けるように導き出されていくのだ。

 

 ついに〈input通用門〉は開き、意味が姿を現した。ここが門のある場所だ。こうして情報が入りやすい位置と角度を掴んでいれば、〈世界の意図〉にアクセスし、手繰り寄せることができる――。

 

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 なぜ開通したのだろうか? 考えられる条件をひとつひとつ点検してみた。

 

(1)Sと同位置で対象に向き合った時、世界を解読しようとする〈姿勢〉、情報にアクセスする〈構え〉が生まれた。

(2)自分と似たようなことを考えていたKのことばは、私が世界を解読するチャンネルに照準を合わせるのを手助けした。

(3)小説の描写が優れていて、心が引き込まれ、「これはどういうことだろう」と知りたい好奇心に駆られた。

(4)小説の文中に「把握力」ということばが出てきて、「それ、いま考えてたとこだよ!」と心に印象深く記銘された。

(5)私は重厚なテーマについて考えを深めるのが好きだった(小説のテーマは「死」だった)。

 

 こうした条件は、二つの機能(働き)を想起させた。〈アンテナ〉〈チューニング〉である。〈アンテナ〉は、情報を効率よく取得するための(興味関心という)手段。〈チューニング〉は、同調回路を取得する姿勢の調整。すなわち(1)(2)が〈チューニング〉(2)(3)(4)(5)が〈アンテナ〉のイメージに重なるのだ。

 

 まず、対象世界が私の意識に到達する強い訴求力をもっていた。そして、近い目線で物事を見る人間が、世界を解読しようとする私と姿勢を同じくした。私はその人とともに、対象世界を解読しようと強い関心を抱いた。

 こうした引力の総合によって、世界の解読は可能になった。

 

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 朗読が終わり、自作品の意見交換をした。

 

 私はこの日、自閉症の聴覚過敏を考察した小論文「〈定位〉から考える聴覚過敏」を発表した。原稿には、「『音の意味』がわからないとは、(中略)自分に関係づけられるはずの意味内容が理解できないということです。」という記述があった。ここでは、話しことばを受けとった時に、発信者の意図が通じない現象が話題になった。

 

「ことばの意味ね。声、聞こえてるはずなんだけど、聞き流してしまうことがある。自分の中にことばとして用意されてないと……」Sが自分の体験に絡めて感想を述べた。

 

「ああ…私にもそういう時があります」世界の意味を手繰り寄せようとロッドを伸ばす私の〈アンテナ〉は、Sの意見に傾いだ。

 

 それからTが「統合失調症ではないか? 似てると言えば似てる。思考のズレ、断裂の要素が含まれる」と指摘した。

 

「ダンレツ?」

 

 私が聞き返すと、Kが横やりを入れた。

 

「ものに対する抽象的概念」

 

「意味の現れ方が断層化していくということでしょうか?」

 

 つぎつぎに現れることばを掴まえては広げた。意味、ズレ、断裂。こうしたことばは、哲学を好む私には親しく感じられた。私の対象世界を解読しようとする強い関心、物事を分析する意欲を駆り立てる他者のことばが、封鎖されていたコミュニケーションのチャンネルをこじあけていった。思考に向かう私の意志、すなわち〈アンテナ〉に、これを刺激する他者の問いかけが触れた時、意志に導かれた触手を伸ばすことで、情報を同期(シンクロ)させる姿勢は微調整(チューニング)され、チャンネルを開通させることができた。萎(しな)びた会話機能は賦活されたのだ。

 

 このやりとりの後、Kは自分の病気について打ち明けた。

 

「病気してる時は記憶できなくなる。アレなんだったかなーと。だから忘れないように記録する」

 

 この発言は私の〈アンテナ〉を立てた。第一に、Kが趣味の話題以外の自分語りをすることは珍しかったから。第二に、記憶の取り扱いに悩まされる私には、考えさせられる教訓を含んでいたから。こうして〈アンテナ〉が立つと、効率よく情報が入ってきて、Kの意図をうまく把握することができた。

 

 開通しかけていたチャンネルは、さらにその間口を広げていった。