マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

共感不能の世界に足あとをつけていく

感じたことを、具体的な情報を伏せながら(できていないかもしれませんが)断片的に書きます。

 
隣の席の男性だけが、私と同じようにこの世界から「浮いて」おり、「文化の差の秘密」を知っているようだった。
あとの人は、みな、それぞれに事情を抱えていたけれど、「同じような場面で同じように笑う」ことができていた。
あきらかに、コミュニケーション障害を知らない人に囲まれているようだった。
 
自己紹介のとき「コミュニケーションが苦手です」とはっきり言った。
しかし、そのようにいきなり「カミングアウト」した人はいなかった。
私は、いつものクセで「直截さ」が出たのだと理解した。
 
大きなリングファイルを広げて、繰り広げられる会話をもれなく書き込みしているのは自分だけだった。
その場所には、話し言葉があふれていた。
書き留めないと、意味が逃げていってしまいそうだった。
何ページも書いた。何もかも全て書いた。人の似顔絵まで。
そしてファイルを命綱のように抱え込んだ。
しかしそれは、かなり神経質な行為だと思われていたらしい。
「血液型、A型でしょ? A型でしょ?」ある人は私にせまった。
「いいえ。耳から入る言葉だけだと理解しづらいから、書いてるんです」
まわりの人はきょとんとしていた。
 
社員は「よい雰囲気」を維持しようとした。
沈黙がきたら、「黙っちゃった。どうしたんですか、みんな?」と言って無理矢理盛り上げた。
レクリエーションゲームをやっている最中、笑っていないのは隣の彼だけだった。
私は、その和気藹々とした雰囲気の「気持ち悪さ」にぞっとした。びりびりに引き裂きたく思った。なぜ人々が笑っているのか、さっぱりわからなかった。
一日中興奮したような笑いが続いた。
もちろん私も合わせて笑ったけれど、共感できたことは何一つなかった。
ただ、広汎性発達障害の子供がいる親が、つらい身の上話を私に語ってくれたときだけ、共感した。
 
私は、人と共感できないばかりでなく、初めての場面が極度に苦手だった。
何もかもが「初めてのもの」で埋め尽くされていた。
手当たり次第「足あと」をつけなければ、「未知」のものは消えなかった。
そこで、「足あと」をつけることに必死になって、自分の座布団から腰を上げ、感覚を切り離さなければならなかった。
恐ろしい「自由な交流の時間」と「初めての場面」と「共感できない笑い」がいつまでもいつまでも続いた。
最後に職員が「疲れた人?」と聞いた。手を挙げたのは、私だけだった。(そんなはずは、ないのだが・・・?)
 
なめていた。久々に過酷な関門をくぐり抜けた。
相談できるはずの職員は私のことを何も知らず、苦痛である「和気藹々とした雰囲気」を必死に作り上げていた。
でも、とてもその秘密を、打ち明けられる段階ではなかった。
 
帰宅後、散歩しながら、打ち萎れた感情がなだれこんできた。
とにかく、今の私に必要なのは、行く先々に「足あと」をつけて、「初めてのものをなくす」ことだと思った。