マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

“多人数の” 雑談が苦手な理由(2) 感情労働が一番辛い

職場の雑談もういいよ症候群 で似た記事を書いたが、雑談が苦手な理由を、あらためて考えてみた。  

 

①話に目的と方向性がないから
②話に「個別性」がないから 
 
 
私はなぜ、みんなが笑って盛り上がっているところで、その感情がわからないのか?(情緒がおかしいのだろうか?)
 
なぜ共感できないのか? 
なぜ共有できないのか? 
 
そのことが苦痛に思われることがある。
共感できないのは仕方がないとして、「共有できない」ことが、欠陥人間の証ではないのかと、未だに自分を受け入れられないところに、自分なりの弱さと課題がある。
この問題について考えてみたい。
 
 * * *
 
“多人数の” 雑談が苦手な理由(1) の続き。
問題は、②の、話に「個別性」がないから である。
 
私の対人コミュニケーションは、一対一が基本だ。
相手が「個人」ならある程度対応できる。
「個別性」、特に「個別的な苦悩」に興味・照準を合わせることはできる。
個人の悩みを聞くのは、ストレスも少なく、OKである。 
 
が、3~4人以上になると、だんだんきつくなる。
関係の対象が全体へ拡大し、「大勢で個別性からかけ離れた雑談」をする場面になると、交流の意欲が薄れ、大変な心労に悩まされる。
空気が読みづらいから話に入りにくいという事情はある。 
だがそれ以上に、「興味が持てない」こと、「興味が持てないことに合わせる」=感情労働がこたえる。
 
 一対一ならば話に「個別性」があるから、興味レーダーの照準を合わせることができる。 
多人数になると、どうしても 「みんなが共有できる最大公約数の話題」になりがちだ。
そういった話題であればあるほど、個別性が薄れて、興味から湧き出るエネルギーが「頑張れなくなる」。遠方へ拡散しにくくなる。 
 
興味領域の狭さこそ、その城壁の外へ出られないことこそ、悩みの種となる。