マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(5) 小学時代4 人目がわからない

◆人目がわからない

 

 家でも外でも、狂ったように遊び回るのに、人が来るのを待っているだけで、自分から、友達の輪に入ろうとしなかった。

 

 保育園の先生によると、自分の殻に閉じこもって、外の世界に興味を示さなかったという。

 母によると、「暗い」というのではなく、自分にひきこもっているところがあったという。いつも自分の世界に夢中で、まわりが見えておらず、「人目」がわからない。服が汚れていてもかまわず外に出て、外出の服すら準備できなかったと。


 この自己没入傾向は、三歳頃にはすでに現れていたらしい。学業成績が話題に上る小学校の面談で、こうした私の発達の問題ばかりを、母は担任と話し合っていたという。

 

 考えられないほど常識がなく、おかしな子どもで、小学校低学年で成長が止まっているように見えたという。

 


 幼少期における自己イメージは、「天真爛漫」の一言に尽きる。

 「外の世界に興味を示さなかった」と言われても、私はただ夢中で、目の前のソファを跳ぶこと、ブランコを漕ぐこと、崖や石壁をよじ登ること、秘密基地を探検することしか、頭になかった。

 

 この性向は今でも変わらず、何かに夢中になると、まわりが見えなくなる。

 

 

【発達1】自分即世界

【発達1】自分即世界



 

【付記】

聴覚過敏手記を発表する前に、成育歴(略歴)を先に発表した方がよいという、ある人の助言に従って、投稿しています。

原稿用紙50枚ほどの本稿が、すでに完成していますが、ブログに投稿すると、トンデモない記事数になりそうです。

しばらくの間、一気にまとめて、公開していく予定です。

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(4) 小学時代3 こだわり

◆こだわり

 

 収集癖があった。

 缶ジュースの蓋(当時は缶から外せた)をコインに見立て、大量に集めた。

 山道で捕まえたカマキリを、帽子に入りきらないほど入れ、持ち帰った。

 空き地で、何かの白い幼虫を大量に掘り起こし、家の庭に放した。

 

 何かを燃やすのが好きで、火に執着した。

 マッチやろうそくに火をつけては、いつまでも眺めた。

 塾の階段裏で問題用紙を燃やした。

 小学校の倉庫から机を運び出し、理科室で天板をこっそり燃やした。

 

 シンナーの臭いに熱中した。

 車の排気ガスを嗅ぎに回った。

 マジックを束にしてキャップを全部外し、臭いを嗅いで倒れた。

 保健室に運ばれ、四十三度近い熱を出して大騒ぎになった。

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(3) 小学時代2 危険な遊び

◆いたずらと危険な遊び

 

 いたずらばかりしていた。

 

 「慈善事業」と称し、ティッシュでつくった「こより」の束を、住んでいたマンションの全ポストに入れた。

 マンションのコンクリートにマジックで落書きして、消せなくなり、親から怒られた。

 人の家から桃を盗み、うじ虫と蝿が湧くまで、机の引き出しに隠した。

 鉄棒で逆(さか)上がりして、口に入ったカメムシを噛んだので、知らない人の家に、インターホンを鳴らして上がり込み、口を濯いだ。

 カエルを口に入れて、遊んだ。

 木の枝によじ登り、町に向けて、リコーダーを吹き鳴らした。

 自宅の屋根を這った。

 二階のベランダから、柱を伝って、外へ抜け出した。

 小学校の授業を真面目に聞かず、机の上を走り回った。

 教室を抜け出し、体育準備室の筒状に巻いてあるマットや、跳び箱の中に隠れた。

 

 

崖をよじ登る



 危険な遊びばかりして、けがが絶えなかった。

 

 アスファルトで宙返りした。

 たんすの引き出しで「階段」をつくって登り、倒れてきたたんすの下敷きになった。

 落下したガラスが腕に刺さった。

 風呂場のガラス戸を割った。

 石壁や崖を見ると、手当たり次第よじ登った。

 崖から滑り落ち、ふもとに張り巡らされた有刺鉄線に、十センチ臑を裂かれた。

 高い塀に登り、足を滑らせて、地下駐車場に落下した。頭蓋骨がむきだしになるほど(ありえないかもしれないが、白い骨に触ったように記憶している)おでこが割れ、救急車で運ばれた。

 ブランコから放り出されて柵に頭をぶつけ、気絶した。

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(2) 小学時代1

◆小学時代1

 

 私は、関西地方のある都市で生まれた。

 幼稚園に入って一年後、奈良県にある、山の斜面を削ってできた新興住宅地に引っ越した。

 

 母によると、私は子どもの頃から聞かん気が強く、わがままで、強情で、しつこかったそうだ。妹の何倍も手がかかり、しつけができなかったという。

 

 小学時代まではやんちゃで、一箇所にジッと落ち着かず、ガサガサ動き回る、悪ガキだった。好奇心旺盛で多動傾向があった。忘れ物はしょっちゅうあり、注意散漫だった。

 

 宇宙や顕微鏡に興味を持ち、昆虫や草花を観察し、未知の土地を探検する、少年のようなところがあった。今でも哲学、ゲーム、恐竜、模型などに惹かれ、感性が男性寄りだ。男の子と遊ぶことも多かった。

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(1) 詩「あなたのひとまたぎは千里の道」

【あなたのひとまたぎは千里の道】

 

一息に羽化する人は

知っているだろうか

あなたのひとまたぎが

千里の道であることを

 

 

あなたのひとまたぎは千里の道



 精神科医小澤勲は、『自閉症とは何か』の中で、自閉症範疇化の中核症状は自閉である」と言っている。

 私の自我はずっと「自閉」と「社会」に引き裂かれていた。

 

 

自分の世界をつくる



 

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで はじめに(2) 〈自己〉が〈自己〉であろうとする物語

◆〈自己〉が〈自己〉であろうとする物語

 

 私が生涯で、一番悩み苦しんだのは、〈自閉〉である。一言でいうと、「〈自閉〉という〈自己〉」「〈自己〉の中から出られない」

 このテーマについて語り尽くせば、1冊の本になるかもしれない。

 

 私は今、重度の聴覚過敏に悩んでいる。家から出るのも困難である。

 この問題にかかりきりで、先に解決しなければならなくなった。それで、何年もかけて手記を書いている。

 

 ほんとうは、〈自閉〉について考えたい。解き明かしたいのである。こんなことを言っている人は、誰もいないようであるが――。

 生涯、苦しめられた〈自閉〉について、ライフワークとして、書きたい。

 

 

自分の中から出られない

 

 

 しかし、きゃつめ(聴覚過敏)が私を離してくれないので、仕方なく、闘いの合間に、ミニ手記を書くことにした。生い立ちから〈自閉〉に悩んだ歴史を、簡単にまとめた。

 

 「中二病」という言葉がある。自己愛に満ちた思春期の空想を揶揄した、ネットスラングだそうである。私がこれから書こうとしている〈自閉〉と〈自己〉は、世間の目からは、いわゆる「中二病」の様相を呈しているかもしれない。

 

 私の闘いを、単なる「中二病」として片付けるのではなく、「発達の困難さ」だと捉えてほしい。

 人がやすやすと乗り越える階段が、とてつもなく大きいとしたら。一歩のきざはしが、ビルディングほどの高さだとしたら――。〈自己〉を保つことが、どれほど困難か。

 

 これは、〈自閉〉と〈社会〉のはざまで、〈自己〉が〈自己〉であろうとする物語である。

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで はじめに(1)〈自閉〉は嫌われている?

〈自閉〉は嫌われている?

 

 〈自閉〉は嫌われているらしい。

 

 電車内で携帯電話をかける人や、わけのわからない独り言を呟いている電波系の人は、多くの人々に異様な不快感を与えると、精神科医斉藤環はいう(※1)。なぜなら、「僕たち」と同じ言葉をしゃべらず、別の世界を背負って歩いているからだと。

 

 斎藤環は、いわゆる〈精神病〉の〈自閉〉のことを言っているらしい。

 私が話題にしたいのは、自閉症の〈自閉〉である。

 

 もし〈そこ〉に、〈自己〉がいるとしたら?

 そう考えたことはあるだろうか?

 

 世間では、〈自己〉というものは、問題にされることが少なく、「それをもっていることがちょっとでも気づかれるならば、この上もなく危険なものである」キルケゴールは言っている(※2)

 

 〈自閉〉も、〈自己〉も、世間には、無用の長物かもしれない。ましてや、「〈自閉〉の中に〈自己〉がいる」などということは、考える価値もないのだろう。

 

                  *

 

 〈自閉〉についての言説は、世間では、あまり見受けられない。

 私は、状況判断ができなかったり、空気や表情が読めなかったり、言葉をうまく操れなかったり、人間関係でトラブルを起こしたりして、社会生活で苦労する。そうしたテーマについて書いてある一般書籍なら、山のようにある。

 しかし、〈自閉〉は少ない。

 

 このテーマについて、精神の発達の面から、生々しく解き明かしている当事者は、ドナ・ウィリアムズである。他にもいるかもしれないが、情報収集の仕方が狭く深いために、幅広い見識のない私には、今のところ、彼女しか思い浮かばない。

 

 発達障害の人にとって、〈自閉〉というテーマは、必ずしも中核にあるものではない。過去、多くのADHDの人とかかわったことがあるが、彼らの中核となるテーマは、〈自閉〉ではなかった。

 〈自閉〉を中核に抱えている人は、自閉症者だけである。だから私は、自閉症者に、特別な親近感を覚える。

 

 

自分の中に閉じ込められている

 

※1 斎藤環『生き延びるためのラカン』、2012年、ちくま文庫、18頁

※2 キルケゴール『死にいたる病/現代の批判』、1990年、白水社、48頁

 

 

※ちょっとわけあって、駆け足で、大量にアップしていく予定です。

詩「社会は私を生かし、そして殺した」

 社会の対極に、布置していた。

 しかし、社会はそこに私が居ることを、知らなかった。

 社会に布置させることが、幸福だと、思っていたのだ。

 

 

 

【社会は私を生かし、そして殺した】

 

社会は私を生かした

そして殺した

 

社会に殺されたことのない人は

そんなことを想像もできない人は

ただただ社会が善

社会が正義

社会が自分

自分を押し広げていけば

そのまま社会の正義になる

エゴを糊塗しながら

自分はそのまま社会になり

社会はそのまま自分になる

そんな特権に気づくこともなく

社会は自分の家と

うそぶける

 

社会からいちばん近い人は

社会の中に身を置いても

それは自分自身だから

自分が殺されることはない

殺されることを知らない

そうして社会からいちばん遠い人を

自分に取り込む過程で

引き裂いてしまう

 

社会からいちばん遠い遺伝子を持った

ある種の人は

社会を願いながら

強く強く願いながら

社会の傍で窒息する

社会からいちばん近い人に

自分をむしり取られる

社会さえなければ

自分が殺されずに

自分が自分でいられると

こっそり禁句を吐く

社会に殺されたことのない人は

そんな人の涙を

絶対に理解できない

想像だにできない

 

社会は私を生かした

自分を生かせるほどに

生かして社会になるほどに

そして社会は私を殺した

社会の存在しない世界で存在したい

と願うほどに

社会からいちばん遠い人の存在しない

世界で存在したい

と社会が願っているとしても無理はない

社会が社会からいちばん遠い人を殺す

社会からいちばん遠い人が社会を殺す

こんなものを背負って

存在できる者はだれもいない

存在できる者は

すでに殺した者か

殺された者なのだ

 

それゆえに

存在しない世界で存在したい

と願うのは自然なことだ

けれどももし

殺されることがないならば

自分が自分でいられるならば

社会で存在したい

と願うことはできるだろう

事実そうなのだ

 

どうすればいい?

あるいは? もしかして?――

 

 

 

社会は私を生かし、そして殺した



(2021.9.20)

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【ひとこと】

私が体験した極限的な状況を、いささか大げさな「詩の言葉」で表現したもの。
ほとんどの人は反感を覚えるだろう。
反感を覚えない人は、もしかしたら、「すでに殺された者」かもしれない。

聴覚過敏を伴った自閉症感覚とその能力(2) 予知覚

 ある出来事が起こりかけている気配を〈徴候〉という。つまり時間や空間の与える〈印〉である。

 五感が反応する前に、〈徴候〉は私の心にいち早くスタンプされる。この感覚はテレパシーのようなもので、第七感の域に達しているのかもしれない。五感を統合する根源的能力である共通感覚中村雄二郎『共通感覚論』、岩波書店、二〇〇〇年)と言えるだろう。

 

 私の聴覚は〈徴候〉を捉えるレーダーの役割も果たし、共通感覚を広げたのだろう。人の存在を存在として、つまり〈核〉のまま受け取る能力を高めたのだろう。

 ただ、身体の中で起きる物質的(フィジカル)な反応も強いので、個別的な五感のうちにとどまり、共通感覚として十分な統合がなされていないようにも思う。

 

 聴覚過敏が重度になり、私は〈予知覚〉ができるようになった。これは予知と知覚を合わせた私の造語で、未来に起こり得ることをあらかじめ知る感覚という意味だ。

 

 

〈予知覚〉の起こり方には三段階ある。

 

 まず私の共通感覚が、ある出来事が起こりかけている〈徴候〉を捉える。とくに聴覚レーダーがいち早く反応し、聴覚過敏になることがある。ユップ守衛やキーパンチ(※人の名)の前で症状が出た(第十三章)ように。

 視覚情報も〈徴候〉を捉える手がかりになる。

 

 次に、捉えた〈徴候〉を過去に起きた出来事のパターンに結びつける。過去に得た体験や知識は、キーワードか図形として記憶に保管されていることが多い。そのキーワードや図形と、捉えた〈徴候〉のパターンが、同じであるとか似ているという判断を、すぐに下すことができる。

 これは、パターンに分類すると世界に秩序ができたようで安心するという、自閉スペクトラム症の特性(私が受けた知能検査では積木模様の得点が高かった)で、聴覚過敏とは別の感覚ではあるが、〈印〉の判断には違いない。

 

 こうして、未来の〈徴候〉を記憶に刻み込まれた過去のパターンに当てはめ、ピタリと嵌(は)まると、こうなるだろうという予感が生まれる。これが私の〈予知覚〉である。未知なる事柄を白紙から言い当てる超能力では、決してない。

 

 〈予知覚〉から私の聴覚過敏は生まれる。否、〈予知覚〉が聴覚過敏なのだ。それは研ぎ澄まされた自己防衛本能とも言える。

 

 私はネガティブ寄りの性格である。ネガティブな性格の人は、危機察知能力が高いという。だが私の場合、性格ばかりでなく、自閉症感覚のもたらす強大な〈印〉が、聴覚過敏の能力を発現させていると言えるだろう。

 

 人の意思・本質の透視、社会動向の察知、共通感覚、そして〈予知覚〉。これらはいずれも聴覚過敏を伴った自閉症の感覚であり、同時に、能力でもある(私の場合)

 私はいわゆるKYで、場の空気を読むのが苦手だ。表情を読み取る力も乏しい。しかし、こうした周縁的な自閉症感覚を用いて、空気や表情の読めなさを補っている。

 

――『マイノリティ・センス(下)』あとがきより――

 

 

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聴覚過敏を伴った自閉症感覚とその能力(1) 体性感覚から伝わる人の意思

 スリランカ上座仏教には、〈印〉(または〈想〉。サンニャーと読む)という言葉がある。対象を認識するときに、他のものとの違いに気づく心の働きをいう。意味は印象impressionに近い。

 

Saññāとは、感じたものについて何か区別するために、印のようなものが生まれることです。

アルボムッレ・スマナサーラ『サンガ文庫 ブッダの実践心理学 アビダンマ講義シリーズ 第三巻 心所(心の中身)の分析』、サンガ、二〇一三年、四二頁)〉


 私の〈印〉は強大で、深い。心に押されるスタンプが強烈なのだ。

 

蝕phassaの衝撃

 

 とりわけ人の声から受け取る〈印〉は大きい。よく格闘漫画やゲームで、空気の波動でダメージを食らうシーンがあるが、あんな具合に衝撃を受ける。

 

phassaが大きい


 声には、私の魂に触れた瞬間の 〝感触〟 がある。ざらついた感じ。尖った感じ。固い感じ。ふわっとした感じ。

 ある人の声は、赤くてつやつやしたゴムのような表面が、ボヨンボヨンと張り出したり引っ込んだりしている。

 ある人の声は、水のように透明でさらさら流れている。

 ある人の声は、錆びた鉄の釘みたいに危なっかしい。

 

 新型コロナウイルスの第一波が来たとき、人々の声にはコロナウイルスの表面にある突起のようなものがあり、ふだんの一・四倍ほどガリガリ尖っていた。笑い声であっても行き場のないストレスが弾けているようだった。


 私にとって聴覚は、体性脊髄神経によって伝達される触覚、圧覚、温覚、冷覚、痛覚、運動感覚などの「体性感覚」に近いのである。

 

 私は声の 〝感触〟 から人の意思を感じる。人の心の中にある思いや感情が、声の調子や響きを通して私の中に雪崩(なだ)れ込んでくる。小さなため息を耳にするだけでも負の感情が生のまま押し寄せ、全身が鼓膜になって振動するようだ。

 

                   *


 聴覚が過敏になり、人の心にも敏感になった。聴覚の機能は聞くことだけではない。生活空間の中で自分の立ち位置を把握し、人(生物)との関係と距離を知覚するのだ。

 

 聴覚過敏とカルナー(仏教の概念で、人の苦しみをともにする心)が両輪で働くと、きめ細かい心遣いが可能になる。HSP(Highly sensitive person 感受性の強い人)で共感力の高い「エンパス」の人がいるが、それに近いか、あるいは同じであると思う。

 

 さらに、〈騒音描写〉ノート(『マイノリティ・センス』第十三章)を取りながら、服の柄や持ち物などの視覚情報も交えて声を解析すると、人の本質を透視できるようになる。その人がどのように自分と世界に向き合い、何を求めて生きているのか、心の軸となるものを感じるのだ。


 自閉症者のドナ・ウイリアムズも『自閉症という体験』で同じことを語っているが、生命には〈外殻〉〈核〉(いずれも私の造語)がある。〈外殻〉は生命が外の世界に接するときの最初の印象であり、ドナは「edge 縁」と呼んでいる。〈核〉は存在の志向性であり、生命を駆動しているエンジンの形である。生命の意思は〈核〉にあり、〈外殻〉の色や形や感触に影響を及ぼす。


 文字や会話から受け取ることばからも生命の〈外殻〉〈核〉を感じるが、やはり声音(こわね)の 〝感触〟 は大きい。滝が滝坪に雪崩れ込むようにドドッと叩きつけられるようだ。人の着ている服の色や柄も〈核〉の意思を伝えてくる。

 

 元号が令和になって一月たった頃、街に溢れる人々の声の変化を感じ取った。それは、平均から逸脱している人を発見し正す暴力を、狂騒で無理やり覆い隠しているような声だった。これまで以上に無感覚で思考停止する人々の群れ――ファシズムの気配(違っているかもしれない)である。

 こうして聴覚から社会動向を探ることもできる。

 

<続>