マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(8) 中学時代2 詩「大いなるものへ」

◆自我の芽生え

 

 突然、何かが私を激しく打った。天の啓示のようないかづちが――。

 

 

【大いなるものへ】

 

灰に染まる石室で、あなたは〈わたし〉を与えてくれた

日覆いの隙間から、見知らぬ風景の空から

それは突然降りてきた

初めて目覚めた人間のように 啓示は激しくわたしを打った

 

灰に染まる石室で、あなたは〈世界〉を与えてくれた

日覆いの向こうをまなざしは貫いて、遙か遠い山脈と雲の彼方から

それはわたしに呼び掛けた

未だ見ぬ郷愁に抱かれて 涙は満ちるよろこびを湛えた

 

あるとき、――それは死んでいた

巫女もかぐやも 猜疑の晦冥(かいめい)に呑み込まれ

長く白けた 罪が下った

底無しの 色彩失せた夜の始まり

 

あなたよ 〈世界〉よ 風景よ

色彩よ 音楽よ 物語よ

夢よ 幻想よ ふるさとよ

希望よ 自由よ 憧憬よ 流れるままに流れる涙よ

 

此岸からは届かない 澱んだ眼で瞳を凝らす

此岸からは得られない それは此処へ来るものだから

此岸からは叶わない 虚しく指先伸ばしても

此岸からは開かない 扉に答えの息吹なく

 

あなたよ、あなたよ、巫女は待ち

あなたよ、あなたよ、かぐやは想う

彼岸より遣わしたもう、胸の空に満ちる使を

罪深い盲(めしい)のうえへ

 

 

石室



 それは、強烈な「自我」だった。何者かが欠け落ちてしまったという喪失感の中で、急激に「自我」が芽生えたのだ。

 これまで自分というものを持たず、世界も知らなかった私が、「自分」と「神」を、そして「世界」を意識した瞬間だった。

 その強烈な感覚は、「自分」「神」「世界」を渾然一体とさせ、一つの世界を形成した。

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(7) 中学時代1 故郷喪失

◆引っ越し

 

 小学校を卒業すると同時に、父の仕事の都合で、中部地方のある町に引っ越した。社宅アパートに住まった。

 

 この町は、工場地帯だった。

 石灰石の鉱山がある。ふもとの工場が採掘し、破砕し、焼成する。見渡す限り、そのような工場だらけだ。

 工場の影に、民家も密集している。

 

 アパート前の平野いちめんに、何台ものショベルカーのまわりに、破砕された石灰石が積み上げられている。

 遠くに、地肌の露出した鉱山が白っぽく見える。大気に霞んで存在感は薄い。自然の情趣もなく、私の眼には入らなかった。

 ショベルカーが石灰石を砕く、ガラガラガラという凶暴な音が、四六時中響き渡っていた。

 

 殺伐――という言葉がピッタリくる。

 

 その風景は、”色” を失っているように見えた。灰色の空の下で、灰色の石灰石が、視界を埋め尽くしている。

 アパートのコンクリート壁も殺伐としていて、以前の安らぐ一軒家とは、まるで違った。

 

 

 

 

◆故郷喪失

 

 こうした荒んだすみかの印象は、思春期に入ったばかりの私の心に、衝撃を与えた。感化され、得体の知れない不安が湧き上がった。

 神経は恐ろしく繊細になった。感受性が一気に開花したようだった。思春期のせいもあるが、それは生半可なものではなかった。

 心は何かに触れては壊れ、触れては壊れ、毎日傷つき続けた。天真爛漫だった小学時代が嘘のように。人が変わったように。

 

 心の中の何かが欠け落ちてしまったことを、私は知った。

 それは、「故郷」だった。

 豊かな自然に溢れ、色鮮やかだった懐かしい景色。心にばら色に輝いていた奈良は、もうそこにない。

 

 ブラインドから夕暮れを眺めていた時だった。自分の中から、これまでの 〝ありとあらゆるもの〟 が喪われていくように思った。涙を流した。

 

 

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〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(6) 小学時代5 集団意識ゼロ

◆疎い人間関係

 

 よくからかわれ、いじめられていた。

 男の子に背中で担がれて泣き喚いた。五線譜に作曲したノートを奪われた。ペンを盗られた。

 しかし当時は、相手が自分に何をしているのか、わからなかった。意味不明な災難に遭ったという感じだけがあった。

 人間関係に疎かった。

 

 小学校高学年になり、人間関係は複雑になった。

 クラスの女の子は「グループ」をつくり、○○ちゃんは△△ちゃんのグループに入るだの入らないだのと、騒いでいた。

 

 私の「入っていた」(つもりはないが)グループが、けんかで二つに分裂した時、仲の良かった女の子は、私にこう迫った。

 

「煌子は私のグループに入るよね? それとも○○ちゃんのグループに入る? どっちか選んでよ」

 

「別にどっちでも……」

 

 なぜそんなことで、血相変えて騒ぐのか、わからなかった。

 グループなんてどうでもいいではないか。しょうもない。面倒臭い。眼中にない。どこかの集団に属するという意識が、私には、まったくなかった

 

 多くのクラスメイトがいじめていた子や、嫌っていた子とは、必ず仲良くなった。

 みんながなぜその子をいじめるのか、わからなかった。

 

 

 

自閉症の難しさ

 

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(5) 小学時代4 人目がわからない

◆人目がわからない

 

 家でも外でも、狂ったように遊び回るのに、人が来るのを待っているだけで、自分から、友達の輪に入ろうとしなかった。

 

 保育園の先生によると、自分の殻に閉じこもって、外の世界に興味を示さなかったという。

 母によると、「暗い」というのではなく、自分にひきこもっているところがあったという。いつも自分の世界に夢中で、まわりが見えておらず、「人目」がわからない。服が汚れていてもかまわず外に出て、外出の服すら準備できなかったと。


 この自己没入傾向は、三歳頃にはすでに現れていたらしい。学業成績が話題に上る小学校の面談で、こうした私の発達の問題ばかりを、母は担任と話し合っていたという。

 

 考えられないほど常識がなく、おかしな子どもで、小学校低学年で成長が止まっているように見えたという。

 


 幼少期における自己イメージは、「天真爛漫」の一言に尽きる。

 「外の世界に興味を示さなかった」と言われても、私はただ夢中で、目の前のソファを跳ぶこと、ブランコを漕ぐこと、崖や石壁をよじ登ること、秘密基地を探検することしか、頭になかった。

 

 この性向は今でも変わらず、何かに夢中になると、まわりが見えなくなる。

 

 

【発達1】自分即世界

【発達1】自分即世界



 

【付記】

聴覚過敏手記を発表する前に、成育歴(略歴)を先に発表した方がよいという、ある人の助言に従って、投稿しています。

原稿用紙50枚ほどの本稿が、すでに完成していますが、ブログに投稿すると、トンデモない記事数になりそうです。

しばらくの間、一気にまとめて、公開していく予定です。

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(4) 小学時代3 こだわり

◆こだわり

 

 収集癖があった。

 缶ジュースの蓋(当時は缶から外せた)をコインに見立て、大量に集めた。

 山道で捕まえたカマキリを、帽子に入りきらないほど入れ、持ち帰った。

 空き地で、何かの白い幼虫を大量に掘り起こし、家の庭に放した。

 

 何かを燃やすのが好きで、火に執着した。

 マッチやろうそくに火をつけては、いつまでも眺めた。

 塾の階段裏で問題用紙を燃やした。

 小学校の倉庫から机を運び出し、理科室で天板をこっそり燃やした。

 

 シンナーの臭いに熱中した。

 車の排気ガスを嗅ぎに回った。

 マジックを束にしてキャップを全部外し、臭いを嗅いで倒れた。

 保健室に運ばれ、四十三度近い熱を出して大騒ぎになった。

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(3) 小学時代2 危険な遊び

◆いたずらと危険な遊び

 

 いたずらばかりしていた。

 

 「慈善事業」と称し、ティッシュでつくった「こより」の束を、住んでいたマンションの全ポストに入れた。

 マンションのコンクリートにマジックで落書きして、消せなくなり、親から怒られた。

 人の家から桃を盗み、うじ虫と蝿が湧くまで、机の引き出しに隠した。

 鉄棒で逆(さか)上がりして、口に入ったカメムシを噛んだので、知らない人の家に、インターホンを鳴らして上がり込み、口を濯いだ。

 カエルを口に入れて、遊んだ。

 木の枝によじ登り、町に向けて、リコーダーを吹き鳴らした。

 自宅の屋根を這った。

 二階のベランダから、柱を伝って、外へ抜け出した。

 小学校の授業を真面目に聞かず、机の上を走り回った。

 教室を抜け出し、体育準備室の筒状に巻いてあるマットや、跳び箱の中に隠れた。

 

 

崖をよじ登る



 危険な遊びばかりして、けがが絶えなかった。

 

 アスファルトで宙返りした。

 たんすの引き出しで「階段」をつくって登り、倒れてきたたんすの下敷きになった。

 落下したガラスが腕に刺さった。

 風呂場のガラス戸を割った。

 石壁や崖を見ると、手当たり次第よじ登った。

 崖から滑り落ち、ふもとに張り巡らされた有刺鉄線に、十センチ臑を裂かれた。

 高い塀に登り、足を滑らせて、地下駐車場に落下した。頭蓋骨がむきだしになるほど(ありえないかもしれないが、白い骨に触ったように記憶している)おでこが割れ、救急車で運ばれた。

 ブランコから放り出されて柵に頭をぶつけ、気絶した。

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(2) 小学時代1

◆小学時代1

 

 私は、関西地方のある都市で生まれた。

 幼稚園に入って一年後、奈良県にある、山の斜面を削ってできた新興住宅地に引っ越した。

 

 母によると、私は子どもの頃から聞かん気が強く、わがままで、強情で、しつこかったそうだ。妹の何倍も手がかかり、しつけができなかったという。

 

 小学時代まではやんちゃで、一箇所にジッと落ち着かず、ガサガサ動き回る、悪ガキだった。好奇心旺盛で多動傾向があった。忘れ物はしょっちゅうあり、注意散漫だった。

 

 宇宙や顕微鏡に興味を持ち、昆虫や草花を観察し、未知の土地を探検する、少年のようなところがあった。今でも哲学、ゲーム、恐竜、模型などに惹かれ、感性が男性寄りだ。男の子と遊ぶことも多かった。

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで(1) 詩「あなたのひとまたぎは千里の道」

【あなたのひとまたぎは千里の道】

 

一息に羽化する人は

知っているだろうか

あなたのひとまたぎが

千里の道であることを

 

 

あなたのひとまたぎは千里の道



 精神科医小澤勲は、『自閉症とは何か』の中で、自閉症範疇化の中核症状は自閉である」と言っている。

 私の自我はずっと「自閉」と「社会」に引き裂かれていた。

 

 

自分の世界をつくる



 

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで はじめに(2) 〈自己〉が〈自己〉であろうとする物語

◆〈自己〉が〈自己〉であろうとする物語

 

 私が生涯で、一番悩み苦しんだのは、〈自閉〉である。一言でいうと、「〈自閉〉という〈自己〉」「〈自己〉の中から出られない」

 このテーマについて語り尽くせば、1冊の本になるかもしれない。

 

 私は今、重度の聴覚過敏に悩んでいる。家から出るのも困難である。

 この問題にかかりきりで、先に解決しなければならなくなった。それで、何年もかけて手記を書いている。

 

 ほんとうは、〈自閉〉について考えたい。解き明かしたいのである。こんなことを言っている人は、誰もいないようであるが――。

 生涯、苦しめられた〈自閉〉について、ライフワークとして、書きたい。

 

 

自分の中から出られない

 

 

 しかし、きゃつめ(聴覚過敏)が私を離してくれないので、仕方なく、闘いの合間に、ミニ手記を書くことにした。生い立ちから〈自閉〉に悩んだ歴史を、簡単にまとめた。

 

 「中二病」という言葉がある。自己愛に満ちた思春期の空想を揶揄した、ネットスラングだそうである。私がこれから書こうとしている〈自閉〉と〈自己〉は、世間の目からは、いわゆる「中二病」の様相を呈しているかもしれない。

 

 私の闘いを、単なる「中二病」として片付けるのではなく、「発達の困難さ」だと捉えてほしい。

 人がやすやすと乗り越える階段が、とてつもなく大きいとしたら。一歩のきざはしが、ビルディングほどの高さだとしたら――。〈自己〉を保つことが、どれほど困難か。

 

 これは、〈自閉〉と〈社会〉のはざまで、〈自己〉が〈自己〉であろうとする物語である。

〈自閉〉と〈社会〉のはざまで はじめに(1)〈自閉〉は嫌われている?

〈自閉〉は嫌われている?

 

 〈自閉〉は嫌われているらしい。

 

 電車内で携帯電話をかける人や、わけのわからない独り言を呟いている電波系の人は、多くの人々に異様な不快感を与えると、精神科医斉藤環はいう(※1)。なぜなら、「僕たち」と同じ言葉をしゃべらず、別の世界を背負って歩いているからだと。

 

 斎藤環は、いわゆる〈精神病〉の〈自閉〉のことを言っているらしい。

 私が話題にしたいのは、自閉症の〈自閉〉である。

 

 もし〈そこ〉に、〈自己〉がいるとしたら?

 そう考えたことはあるだろうか?

 

 世間では、〈自己〉というものは、問題にされることが少なく、「それをもっていることがちょっとでも気づかれるならば、この上もなく危険なものである」キルケゴールは言っている(※2)

 

 〈自閉〉も、〈自己〉も、世間には、無用の長物かもしれない。ましてや、「〈自閉〉の中に〈自己〉がいる」などということは、考える価値もないのだろう。

 

                  *

 

 〈自閉〉についての言説は、世間では、あまり見受けられない。

 私は、状況判断ができなかったり、空気や表情が読めなかったり、言葉をうまく操れなかったり、人間関係でトラブルを起こしたりして、社会生活で苦労する。そうしたテーマについて書いてある一般書籍なら、山のようにある。

 しかし、〈自閉〉は少ない。

 

 このテーマについて、精神の発達の面から、生々しく解き明かしている当事者は、ドナ・ウィリアムズである。他にもいるかもしれないが、情報収集の仕方が狭く深いために、幅広い見識のない私には、今のところ、彼女しか思い浮かばない。

 

 発達障害の人にとって、〈自閉〉というテーマは、必ずしも中核にあるものではない。過去、多くのADHDの人とかかわったことがあるが、彼らの中核となるテーマは、〈自閉〉ではなかった。

 〈自閉〉を中核に抱えている人は、自閉症者だけである。だから私は、自閉症者に、特別な親近感を覚える。

 

 

自分の中に閉じ込められている

 

※1 斎藤環『生き延びるためのラカン』、2012年、ちくま文庫、18頁

※2 キルケゴール『死にいたる病/現代の批判』、1990年、白水社、48頁

 

 

※ちょっとわけあって、駆け足で、大量にアップしていく予定です。