マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

距離感がわからず、人に近づきすぎてしまうのは

人に近づきすぎる

文学会の主宰者がたしなめました。

 

「苦手な人のに、近づきにいってはいけないよ」

「・・・」

 

その距離感がわからないですよ。

そう――人間関係の距離感が。

私が苦手な人に近づいてしまうのは、たいてい「対人恐怖」「初めての状況への恐怖」からです。

相手がどんな人かわからないから、「初めての状況」をなくそうとするのですね。

「初めての対人環境」ほど怖いものはありませんから……。

情報を少しでも多くもって、人間関係の不可解さをなくそうとする、というか。

 

かつて通っていたA型事業所で、やたら初めての人に話しかけにいって、「天寧さん、近づきすぎて怖い」「神出鬼没」と言われました。

「・・・」

そんなこと言われても、ねえ。

 

対話するしか…

「相手を知る」しか、自分をコントロールする方法はないです。

そのためには、対話するのが最良の方法です。

対話しないと、相手がどんな人かわからない……。

そんなわけで、対話をしかけていくところが、私にはあるようです。

「同じ場」に立ったときは――という条件つきで。

「同じ場」に立たなければ、つい受動的になってしまうのですが。

まぁ今なんか、ほとんど対話する機会もないのですが。

 

中島義道

 

「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)

「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)

 

 に影響を受けすぎた、ということもあります。

 

この国では「集団において個々人の対立を避けるにはどうしたらよいか」という問題を解決することにほぼすべての労力が費やされる。

(中略)<対話>は対立から生まれる。したがって、対立を圧殺することは<対話>を圧殺することである。(166頁)

 

<対話>はこうした欺瞞的な態度の出現とともに消えてゆく。そこに、すべての人が全体を配慮し、自己の痛みを語らず、他者との差異を語らない淀んだ和やかな空気が流れる。この空気の中で、おそろしいことに、各人は自分の考えをもたなくなる。(191頁)

 

ある人に話しかけすぎて、ああA型事業所の失敗を繰り返してしまったな、と反省しました。

でもやっぱり距離感がわからない……。