誰に向けて発信するの? 一対【多】は見えない
誰に向けて発信しているかわからない
ある日、ハローワーク比佐間さんをつかまえて、グループ展における社会の反応「?」や無言の意味を確認しようとした。比佐間さんは、こう教えてくれた。
「天寧(あまね)さんは、自分のアピールが人にどう受け止められるか見えていない」
「そうなんです。わからないんですよ」
「あれ(グループ展の表現)だけ見ると『何が?』って思う。社会にどこをアピールするの?」
「……」
社会との関係によって聴覚過敏が発生している。けれどもいまだに私には、その社会の顔が、さらに顔の全体が見えない。自分との関係が、位置が、距離がつかみづらい。こうした社会性の拙さが、聴覚過敏をいっそう複雑で捉えがたいものにしていた。
執筆中の『踏まないで!』第9章から
今、私は手記を執筆しています。
ブログで文章や絵を発信しています。
困っていることがあります。
私は一体誰に向けて書いているのだろう?
よくわからない、明確にイメージできないのです。
ブログについて勉強していると、「誰に向けて発信するか明確に」とアドバイスされているのを読んで、ハタと気づきました。
それがわからないんだよ~(汗)
上の 引用文で描写した比佐間さんは、手記の原稿を読んで、私にこう言いました。
「事実の描写としてはわかりやすい。表現力もある。
しかし、これを発表してどうしたいのか?
苦しみを綴っているにすぎない。
何をどのように理解されたいのか。」
それがわからないんだよ~(汗)
で描写したとおり、クマさんは言いました。
「まず本人が特性を受け入れ、まわりが認識して、理解して、対策を立てる。でなきゃ、あいつはヘンってよけいなトラブルが起きる。関係者の認識が必要よ。福祉、教育、行政、医療……そういうところに知識がなかったらどうしようもないじゃん」
「これ、ふつうの人向けに書いたつもりでした」
「フツーの人向きじゃないじゃん!?」
それがわからないんだよ~(汗)
それがわからなかったらどうしようもないんですけど、とにかくピンとこないのです。
コミュニケーションのサインを受け取る、発信する相手をイメージする弱さがあります。
一対【多】は見えない
一対一はいいですよ。相手が見えますから。
安定した地盤に立っている(座っている)感じがするんです。
けれども、一対【多】は見えない!
立っている地盤が、地上からフワフワ浮いているみたいで、不安定な感じがあります。
相手の【多】が、どこにどんな関係で、私に対しているのか。
顔がよく見えません。
どこに照準を合わせたらよいのか掴めません。
どうしても「ひとり演説」「ひとりカラオケ」みたいになってしまいます。
この記事は誰に向けて書いたらいいの~♪
誰が見てるの~♪
よくわからないの~♪
誰か教えて~♪
オホン、失礼しました。(誰に向けて言っているのかよくわかってナイ)