マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

〈定位〉から考える聴覚過敏6 音を受け止めてレシーブする選択的注意

 なぜ聴覚過敏になるのでしょうか。

 過敏に影響を及ぼすものは、「調整」「気分」「音の意味」という3つの要素がからんでいると、さきに引用した著者は述べています1)。思い当たる体験から、詳しく描写してみたいと思います。


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 まずは「調整(あるいは調節)」

 聞こえの調整がうまくいかないから聴覚過敏になります自閉症スペクトラムでは、選択的注意ができないという現象が知られていますが、選択的注意の「できる」人が、当事者の体験の記述から「そういう聞こえのしくみがあるらしい」と推察しただけで、そのメカニズムが何に由来しているのかまでは解明されていないようです。

 

 私の場合は、すでに述べたように、好き/嫌い、心地良い/悪い、必要ある/ない、重要/重要でないにかかわらず、微に入り細にわたって、四方八方・三六〇度・全方位のあちこちから、種々雑多な音が勝手に乱入してきて、いちいち拾ってしまいます。都合の悪いことに、とりわけよくない記憶に結びつくいやな音を、率先してキャッチしてしまいます。

 

 自閉症スペクトラムでない人に種々雑多な音の乱入はないという話を聞いたとき、ほんとうに驚きました。それこそ「そういう聞こえのしくみがあるのか」という気持ちでした。何人かの人に聞こえ方をうかがったところ、人によって注目する音に違いがあるようでした。ある人は面白そうな音に、ある人は心地よい音に、ある人は必要性のある音にフォーカスロックして、自然と選択のふるいにかけて拾っていました。その際、フォーカスロックした音をよりよく受容するために、集中的に感度を高めているのではという印象を受けました。

 

 

 選択的注意ができる人の聞き方は、たとえばオーケストラにおいて、楽器のパート音すべてを一つ一つ細かく拾うことなく、統合的にメロディラインを聞く様子に似ています。自分にとって重要な音を自動的に選択して、統合された本筋の流れとして集約できるようです。けれども私には、その自動的な統合に行き着く前に、集約の流れを阻害する引っかかりがしばしば生じます。

 

 引っかかりの一つとして、聴覚の遠心性神(中枢神経から内耳の有毛細胞、とりわけ接触した音と同じ音波のコピーをつくり、音の感度を調節するはたらきをもつ外有毛細胞に多く終端する神経。過刺激からの耳の保護、聴覚利得の調節、音に対する行動反応にかかわる)のことを考えたことがあります。遠心性神経の多くが外有毛細胞に到達する図を見ていたとき3)、もし自閉症スペクトラムが神経発達障害であるなら、ココが十分に伸びておらず、先端が弱々しく伸びたり縮んだりしてがんばっているイメージを思い描きました。なぜなら、入力ばかりが過剰で、それを受け止めて反応(レシーブ)する運動神経がなっていないというふだんの感覚が、図の説明に一致するように思ったからです。

 

 ただこのイメージは勝手な想像でしかなく、科学的に実証されたものではないようです(不勉強で、そのような研究があるかどうかは十分に調べていません)し、遠心性神経の未発達だけが聴覚過敏にかかわっているとは考えていません。遠心性神経より「もっと奥のほう」も、あるいは「もっと手前のほう」も、聴覚過敏にかかわっていると思います。私が強調したいイメージは、音を「受け止めて反応(レシーブ)する」ことのつたなさ、音を受容するときの「体勢」の不安定さです。