『踏まないで!』序章
※この記事は、現在執筆中の聴覚過敏手記『踏まないで!』の一部分です。
第11章(600頁分)のうち、最初の章です。
二〇××年一〇月のある日、Jワークスの機械室で、私は何度目かのパニック発作にのみ込まれていた。
そこは、無機質なコンクリートの壁と床がむきだしになっている、薄ねずみ色の暗い一室だった。ボイラーなのかなんなのか、用途のわからない銀色の円筒容器が部屋の奥に密集していた。
その硬い容器に次から次へ頭をぶつけて、コンクリートか何かの白い粉が散乱する冷たい床を転げ回った。容器からのびる管に行く手を阻まれつつも、右に左にゴロゴロ回転しながら、壁へ、天井へ、隣室へ、建物の外へ、全世界へ向けて、あらんかぎり絶叫を放った。金切り声が自分のほかは誰もいない機械室を貫いて、どこともしれない空間へ響き渡った。
この醜態が、声を耳にした世間の人に、「この人はおかしい」という偏見に満ちたイメージをもたらすことは想像できた。実際、頭がおかしくなりそうだった。時間も空間もない谷底へ、まっさかさまに墜落しているような気がした。火山がマグマを吐くごとく、気違いじみた叫びが身体(からだ)の底から噴き出して、その反響の中で意識は朦朧(もうろう)とした。
誰もいなかった。叫んだって無駄だった。だが、長いあいだ絶叫をやめなかった。
落日
コンクリートが粉を吹く冷蔵室に
底無しの陥没孔が口を開く
永遠の奈落を落ちる
落日の見開いた目
真空に劈(つんざ)く悲鳴は
廃れた羽を抱いて
マントル目がけて沈んでいく
衝撃を見聞きした
機械の配線はそ知らぬ顔
壁も床も天井も
誰の耳も聞きやしない
誰の目も見やしない
落日の声が陥没孔を証言する
その日まで 言なき咆哮(ほうこう)は
無人の空に轟(とどろ)く