マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

人づき合いの容量が少ない故に(2)

いわゆる極度の"寂しがり屋"が苦手なのだと思う。

心理的に、頻度的に、「密」なコミュニケーションを求めてくる人を、今までどれだけ「拒絶」してきただろう。
 
頻繁な携帯メールを遠慮してもらい、距離を置いてもらうよう、お願いする。
それでも、相手は、私のこのような性質を理解できないことが多く、かまわず近づいてくる人がいる。
「密」を好む人ともそれなりにうまくやりたい(欲張り?)からこそ、警告を発するのだが、なかなか通じない。
相手には相手のペースやくせがあるから。
結局、追いつめられ、壊れるか爆発するか。
「もうこれ以上の交流は無理です」と関係をバッサリ切ることになる。
2人や3人、3人や4人じゃない。もっともっと多い。
 
今日も、また。
あまり携帯メールをもらいたくない相手からの着信が、重くのしかかった。
休日と休養とひとりの時間を何度も邪魔された怒りは深く、心は苦しく乱れた。
冷酷な文面で事務的な応答をしてしまった。
 
今回ばかりは、長い時間、悩んだ。
その内容は、鬱病の人からの、重くてべっとりとした、整理されていないむきだしの感情をぶつけてくるものだった。
 
なぜ、職場で十分コミュニケーションをとっているのに、プライベートの場までも、毎日毎日密なコミュニケーションをとろうとするのか?
なぜ、カウンセリングを勧めているのに、私にぶつけてくるのか?
なぜ、感情を整理する努力をせず、いきなり投げつけてくるのか?
なぜ、休養になる大事なひとりの時間を、何度も侵害するのか?
なぜ、自分は、鬱病の人の深刻な悩みを、受け止められなかったのか?
なぜ、自分は、ひとりの時間を邪魔されただけで、これほどの怒りを感じるのか?
なぜ、自分は、密なコミュニケーションが苦しいのか?
 
いろいろ考えていると、すっかり気分が塞ぎこみ、そのまま日が暮れてしまった。
私が好意を持っている数少ない(稀有の)人(たいてい、密なコミュニケーションを求めない人)であれば、ある程度、密なコミュニケーションをしても大丈夫なのに、好意を持っているとは言えない人に、こんなすげない対応をする自分は、なんて勝手なヤツなんだろう、なんて都合のいいヤツなんだろう、とイヤになる。
 
ああ、人間関係は難しい・・・。