マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

グレーな曖昧さのなかで漂うこと

「“多人数の” 雑談が苦手な理由(4) BGMを楽しむ困難」 で書いた ハローワークの人の言葉「真面目な、白と黒の世界観」。

全体に向けた話し言葉の洪水、著しい環境の変化、いつもと違う雰囲気、初めての状況、あまりたくさんの大きな音にさらされること、大勢の人と盛り上がりすぎること・・・。
沸点が非常に低く、すぐリミットに達して、不安から恐怖感へ、恐怖感からパニックや鬱へ、パニックから過呼吸へ、ついには身体と言葉が固まって、身動きできない「石」になる。
大丈夫なときは大丈夫なのだが、いつ沸点に達するかわからない。
その墜落感はいきなりやってくる。
 
「絵のように静かな二次元の世界で」で描いたような世界が一番安全だ。
音がなく静かで、いつもと同じ環境で変化なく、全てがパターン化されている、予想外の出来事や人がイキナリ飛び出してくることのない、安らぎの世界。
けれども、そんな場所がどこにある?
 
「私はなぜ、こんなに不適応が多いんですか?」と、ハローワークの人に聞いてみた。
そこで、返ってきた答えは、こうだった。
「あなたは何事も、真面目に捉えすぎる。白と黒に偏っていて、アイマイでグレーな部分がない。」
ああ、そのとおりだ。自覚している。
 
しかし、「デジタル」理解担当の自分は、それがわかっているからこそ、白黒つけられないから○%の灰色、○%の灰色、と厳密に配分する。
そうした厳密さがいわゆる「真面目さ」になってしまっている。
白も、黒も、○%の灰色も、基地を立てて、旗を立てて、あちらへこちらへ動き回っているうちに、頭が混乱してしまう。旗を立てすぎなのだ。
「曖昧さ」というものを、身体で体感できず、想像するのは困難だった。
 
グレーな曖昧さのなかで、漂う・・・
 
旗を立てない、コレと決めない、グレーが○%と計算しない。
なんという難しい作業だろうか?
そもそも、予測ができない不安から、立てる旗なのに。
"なんとなく"の人間世界でたゆたうなど・・・。
 
しかし、だからこそ、チャレンジする価値があるのだ。
頭で理解していても、体験できない身体を、そのように作りかえるために。