マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

社会に発達障害が知られていると思っていた

障害者職業センター職業訓練では、発達障害の人がたくさんいた。

対人コミュニケーション面において、それなりの配慮があった。
就職活動においては、発達障害についてよく知っているハローワークの人が、相談に応じてくれていた。
就労継続支援事業所であれば、発達障害についてそれなりの理解があると思っていた。
 
しかし、実際は・・・誰一人知らなかった。
身体障害者はともかく、精神障害者でさえ、発達障害のことを何も知らなかった。
事業所の人も、知らなかった。孤立無援のような状態だった。
昔に比べ、社会にそれなりの理解と知識が根付いてきているのではないか?
その期待があまり見事に裏切られたので、動揺した。
 
はじけるように、不適応が出た。
事業所の人は相談に応じてくれたが、そのとき、こう言われた。
 
「話は聞くが、環境作りに介入するのは難しい。
自己責任で行ってください。
不適応が出たらその都度対処療法を行うしかない。
社会はそんなにやさしくない。
妥協ラインは障害者の側に不利になるのが現実。
国の施策に従うしかない。自分たちに一体何が変えられる?
社会はそんな簡単に変えられない。現状に甘んじる他ない。
あなたの不利は仕方ない。万事、自己責任」
 
―――このような後ろ向きのメッセージを受けて、衝撃を受けた。
今まで変えていこうと挌闘してきたから、なおさら。
 
不安、恐怖、心細さ・・・。
安心を脅かすあらゆる感情が襲ってきた。
それから私はバランスを崩すようになった。
前職の過酷な環境を思い出し、記憶の蒸し返しに苦しめられた。
毎日ビクビクして出所するようになった。 
ハローワークの人いわく「均衡を保っていた球が弾け飛んだ」。 
そして、その弾けた破片を、再び、拾い集めるように。そう助言された。