社会に発達障害が知られていると思っていた
障害者職業センターの職業訓練では、発達障害の人がたくさんいた。
対人コミュニケーション面において、それなりの配慮があった。
就労継続支援事業所であれば、発達障害についてそれなりの理解があると思っていた。
しかし、実際は・・・誰一人知らなかった。
事業所の人も、知らなかった。孤立無援のような状態だった。
昔に比べ、社会にそれなりの理解と知識が根付いてきているのではないか?
その期待があまり見事に裏切られたので、動揺した。
はじけるように、不適応が出た。
事業所の人は相談に応じてくれたが、そのとき、こう言われた。
「話は聞くが、環境作りに介入するのは難しい。
自己責任で行ってください。
不適応が出たらその都度対処療法を行うしかない。
社会はそんなにやさしくない。
妥協ラインは障害者の側に不利になるのが現実。
国の施策に従うしかない。自分たちに一体何が変えられる?
社会はそんな簡単に変えられない。現状に甘んじる他ない。
あなたの不利は仕方ない。万事、自己責任」
―――このような後ろ向きのメッセージを受けて、衝撃を受けた。
今まで変えていこうと挌闘してきたから、なおさら。
不安、恐怖、心細さ・・・。
安心を脅かすあらゆる感情が襲ってきた。
それから私はバランスを崩すようになった。
前職の過酷な環境を思い出し、記憶の蒸し返しに苦しめられた。
毎日ビクビクして出所するようになった。
ハローワークの人いわく「均衡を保っていた球が弾け飛んだ」。
そして、その弾けた破片を、再び、拾い集めるように。そう助言された。