マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

“多人数の” 雑談が苦手な理由(4) BGMを楽しむ困難

“多人数の” 雑談が苦手な理由(3) の続き。


広汎性発達障害の人でも、「みんなが共有できるあたりさわりのない最大公約数の話題」にまったくアレルギーのない人もいる。
ただし多くは、それが「自分の興味の範囲であれば・・・。」 
自分が好きな、たとえば趣味の話であれば、雑談であってもさしつかえなく、むしろ夢中になって話してしまうケースはいくらでもあるだろう。
私にも、そういう傾向はなくはないが、非常に面倒なのは、個別性が薄れるや否や、つまらなくなってしまうことだ。 
趣味にしていること、好きな話題の傾向はあるけれども、やはり、そこに個別性がなければ、人と共有したい気持ちが薄れてしまう。
 
たとえば、雑談によくある天気の話に個別性があるだろうか? 
私の人生とどう関係しているのだろうか? 
関係しているのであれば、真剣に、どのように関係しているのか、知りたいと思う。
 
万事、そのような態度で人生の核心と雑談の関係性を考えるので、BGM的な"おしゃべり"を楽しむことが困難だ。
BGMですら真剣に聴いてしまう、「真面目な、白と黒の世界観」・・・とも言える。 
ほかの広汎性発達障害の人にはあまりみられない、私の個別性とも言える。 
自分の人生や興味に、反復的な内向性がある。「広げたくても」広がっていかない、興味の翼が。 
 
定型発達者との会話で、「最大公約数の話題は、互いの関係性や興味を探り合うキッカケにすぎない」と聞いた。非常に驚いた。 
一体なぜ、きっかけを、そのように楽しむことができるのか? 
なぜ、「薄められた味」を、ともに楽しむことができるのか?
と。結局、私にとっての打開策は、さしあたって「一対一の関係性」が一番有効なのだ。 
そこに個別性があるなら、集中することができるからだ。 
しかし、“多人数の”雑談の場では、あまり使えない。だから、困っている。