マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

理解――存在の血液

「あなたのことは理解できない」

「理解することはできませんからね?」

「よくわからない」

「……………?」

 

愛があればいい?

それ以前の問題

 

雨が大地に沁み渡るように

思念の通路を伝って

心の始原に至る

私とあなたを跨ぐ

水路橋に滴る

存在の血液!

 

理解をください

理解をください

 

 

追記:推敲しました。

はてなのハテナ、はてなよサラバ(多分)

はてなのハテナ

fc2ブログのような拍手もないし、ホームに戻るの表示もないし、カスタマイズのやりすぎでヘロヘロ(見出しの下の点線を、デフォルトのリボンの主張に見合うさりげなさで、しかもサイドバーの点線の調子に合わせ、調和のとれた世界観を演出するんだとばかりに無駄に凝っているうちに、肩ばかりか頭の奥まで凝ってきた)になって、

もうはてなのことがわかんないッ!!

はてなのハテナ!!

……と思っていた矢先。

 

『踏まないで!』第11章 ブラックホールの秘密

↑↑↑で登場したクマさん宅に遊びに行った時、ブログの感想を教えていただきました。

 

「あんたんとこね、コメント入れたくてもできんよ?」

 

えーーッ!? どういうことですか!?」

 

浮かんだのは、はてなやめようか)という、小さな心の声。

 

reCAPTCHAの画像認証

 

「だってねぇ、コメント入れようとしたら、はてなのIDアカウント登録してくださいって出るんやよー?」

 

コメントを書く欄をクリックすると、自分はロボットではないことを示す認証画面が。

 

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そりゃあロボットじゃないわさ。というツッコミはいいとして、私のパソコンではこれ以上画面が進まず、今画像が準備できないのですが、クマさんのパソコンでは「reCAPTCHAの画像認証」なるものが出るようです。

特定のテーマを含む画像を、複数のタイルから選択せよという超面倒くさい課題

 

「こぉ~んなことやってられっかっちゅーの!!」

 

「うわああぁ…これは……」

 

リ……リキャプチャ? このなんともダサい英語の音感と文字の見た目。RE-CAPTCHAにすればカッコイイのに。RE: CAPTCHAとか。ロゴはアルミ缶のリサイクルマークにしか見えません。

 

しかも、何かの入力画面で(覚えていない)「値を入力してください」という謎の指示まで出てくる始末。

 

「 "" って何ィー!?」クマさんはプリプリ怒ります。

 

「値……!」私も腰が砕けそうに。「なんとなくわかるけど、もうちょっとマシな日本語訳は……」

 

はてなよサラバ……になるかもしれない

 

「それにね、スターを押そうとしても、ホラァー!!」

 

また入力ボックスが出て、はてなへのログインを求められるのでした。

 

「なんでこんなにいっぱいやらないかんのー! いちいちこんだけやらせるってどーいうことォ? とにかくめんどくさいてコレ! コメントの前に考えさせるのよくない! 萎えるわー!!」

 

やめよう。はてなよサラバ。決意した瞬間でした。

文章書きが多い、知的な印象があったはてな。管理がわりと簡単なはてな。気に入っている面もたくさんあったはてなはてなはてなと連呼するほど走馬灯のように蘇るはてなの思い出(約10日)。

しかし、超弱小ブロガーにとって、読者の反応が得られにくいというのは致命的。はてな民しか認めないというのはよくないぜ!

そんなわけで、68記事という目標を立ててはいましたが、オラ fc2さ 戻るだ! 気が変わって出戻りするかもしれないから、多分。

 

追記:自閉症関係の記事も上げたいのに、このままではブログ闘争の記事で埋め尽くされてしまう……。

 

中村文則さんがバージョンアップしたらしい

現在、執筆中の聴覚過敏体験記『踏まないで!』の添削をしてくださっているクマさん。↓↓↓で登場。

『踏まないで!』第11章 ブラックホールの秘密

作家中村文則さんの大ファンです。

ワタクシも気にかけてはおり、新聞で関係記事を見つけると、切り抜きをつくります。

が、クマさんほどの入れ込みようではありません。

 

中村文則さんは、最近までクマさんが購読している中日新聞で小説「逃亡者」を連載していたそうですが、今度は私が購読している朝日新聞「カード師」を連載することに。

 

「クマさんこれ見てください!! 今度は朝日新聞で連載するんですよ!」

 

私は切り抜いた新聞記事をクマさんに見せます。

少し首を傾げ、クマさんいわく「深ぁ~い湖の目」(この詩的表現!)をした、中村文則さんのクールでミステリアスな面影が覗いています。

 

「ひゃー!」クマさんは両手を広げて一気にテンションアップ。「一作書き終わらないうちにィー!!」

 

「でしょ!?」

 

「あァんな "文学青年" だったのにィー!! こォ~んな立派な文学者になってェー!!

 

貫禄が増してバージョンアップしたと言いたいらしい。

 

「いや、いや!」私は激しく首を左右に振ります。「全ッ然変わってませんて。写真」

 

 

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before 朝日新聞2019年7月31日(クマさんが「深ぁ~い湖の目」と評した頃の写真)

 

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after 朝日新聞2019年9月某日(不明)

 

 

いや~、全然変わってないと思うんですけどねえ……?

 

「アタイの文則さん~! アタイの目に狂いはないィーー!」

 

はしゃぐクマさんが面白いです。

中村文則さんは太宰治が好きだそう。好き嫌いが分かれる太宰治ですが、私にとっては脳内兄さん。そういうルーツつながりで親近感を抱いている、今、旬の作家です。

ヒキコモルートアドベンチャー 3 川辺のカモフラージュ

【前回までのあらすじ】

僕は散歩の途中、赤いランニングシャツを着た男が近づいてくるのを見た。

そいつは、僕にやたらかまってくる近所のニガテな老人だった。

僕はとっさに金木犀の茂みに身を隠し、堤防に出た。

 

 

 赤い俊足が散歩に出る時間は三時一〇分。調査済みである。現在、二時三〇分。彼はまだ家の中で待機しているはずだ。

 

 ――なのになんで、こんな時間に奴がうろついているんだ!?

 

 僕は堤防から茂みの向こうを窺った。

 金木犀の並木は、何気なく見ても裏手に人が隠れていると気づかないが、意識的に奥を透かして凝視すれば、人影を発見できないこともない。僕の姿を探されてはまずい。

 僕は川遊びに心を誘われるフリをして、堤防の斜面を這うように降りていった。茎が長く、ツンツン尖ったいかつい多年草が行く手を遮る。葉先が刺さって痛い。なんで家の近所でこんな冒険をしなければならないんだ。

 

 川辺に着くと、湿り気のある地面に軽く腰を下ろして、いかにも水面が綺麗だなあ、自然は素晴らしいなあと感心して眺めているナチュラリストを装った。水質が悪い川だが、近くで見ると透き通って見える。「ウム。汚染度が深刻でなくてよろしい」とかぼやきながら、右手で川の水を掬う。

 

 

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 こうして水と戯れる演技をしながら、こっそり後ろを振り向いて、金木犀の奥を透かし見た。間もなく赤い俊足が通り過ぎるはずだ。

 

 ――アレッ? 遅いなあ。

 

 ずいぶん時間が経ったはずだが、赤い人影は見えない。岸辺に下りている間に通り過ぎたのだろうか?

 僕はしびれを切らせて堤防の上まで這って戻り、並木の抜け道まで歩いていった。恐る恐る上半身を小径に乗りだし、右に左に首を回して辺りを見渡した。奴の気配はない。

 すぐその場を立ち去り、足早にズンズン歩いた。運動場を迂回して、川の上流の、さっきとは場所の違う同じ堤防に足を踏み入れた。

 もう大丈夫だ。ほっと胸をなで下ろした。ヒキコモルート復帰である。

ブログを10日続けてすでに燃え尽き感が…

……まだ10日?

……えっ? まだ10日?

気分的には1ヵ月ぐらい続けて燃え尽きた感じです。

ホームページ(ブログ)を6つ持っていると息切れが……!

息切れするほど運営してないですが。

アクセス0の日もけっこうあるのに(とくに詩サイト)、自分はいったいなんのためにガムバッテいるのかと徒労感が……(苦笑)

なんかこれ、一つにまとめたほうがよくない?(心の声)

自己表現の場が限られていますから、つい無駄に凝りまくってしまいます。

 

アイキャッチ画像なるもの

 昔はなかったと思うのですが、最近よく見かけるようになりました。

コレ、あったほうがいいんでしょうか。よくわかりません。

ブログ運営サイトを見ると、絶対つけたほうがいいと解説されているので、一応つけています。

衆目をキャッチする? なんか釣りみたいで、いちいち画像で釣らなあかんのかと、少々の罪悪感がないでもない。

みんなそんなに一瞬の表層的イメージに惑わされるのか?

初めてアイキャッチ画像を見た時は、文章の本質を表したものではないステレオタイプな画像が主張していると、気が散って、逆に「文章世界」に入り込めなかったものです(自分もそうなっているかも……!)

もうだいぶ「こういうものか」と慣れましたが。

 

だいぶ軽くしました……が、いかに?

 これまで勿体ぶって、絵をあまり公開せずにいた反動で、ここぞとばかり放出しすぎて、画像だらけの重々しいブログに……。

絵をドンドン見せていきたなぁと思うけど、バランスが難しいです。積極的に公開したほうがいいのか。記事にいちいち関係のない絵をつけないほうがいいのか。

 

本当はホームページが良い

 ブログでなく、ホームページをつくるのが理想です。

しかし、昔使っていて今はないMacintosh&ホームページ作成ソフトはもう使えないし、Windows用のホームページ作成ソフトを習得するのも面倒。

HTMLで自作したいけど、それも面倒。

一番カンタンなブログで、とりあえず複数あるホームページのマザー基地を整えたいと思いつき、現在の形になりました。

 

今後は

 私の予想では、 このままでは10日後には本格的にバーンアウトして、貝のように黙る期間が来るような予感がします。

そうならないよう、すでにつくっている詩ブログの記事数(63)まではなんとか書きたいというのが短期的目標です。

読者が少ないので、モチベーションを保ちにくいですね…。

 

  *  *  *

 

最近、朝日新聞連載小説「スター」に書かれてあることに、ドキッとさせられます。

「(中略)なんか今って、あっちもこっちも色んな方向に目配りしてるみたいな話が多くない? バーンって突き進んでみれば意外とそれでいいかもしれないのに、全方向に対して ”大丈夫ですよ~あなたの生きづらさもナデナデしてあげますよ~社会にとって良いことが描かれてますからね~" みたいなの多いよね、特にあんたたちの世代が創るものって」

2019年11月8日 朝井リョウ「スター」31

 

追記:スターありがとうございます!

 

 

 

【作品一覧・紹介】ブログ内作品(手記/小論文/小説)へのリンク ※カテゴリーにも

 作品一覧・紹介

 ※サイドバーのカテゴリーからも見ることができます。

 

「踏まないで!」

ジャンル:手記

読みやすさ:★★ わかりやすさ★★★ 聴覚過敏★★★★★ リアリズム★★★★★ 

現在執筆中の聴覚過敏手記です。

A型事業所で聴覚過敏が理解されず、結果、重度の聴覚過敏になった、私にとって半生を揺さぶる凄絶な経験を文章化しました。

現在の一番の関心事、活動、生活そのもの。出版する予定。

 

『踏まないで!』序章

600頁にわたる聴覚過敏手記始まりの章。

詩「落日」収録。痛いです……。

 

『踏まないで!』第11章 高木さんとの対話

最終章(予定)から。

書き上げた10章までを文学会のメンバーに見せた反応を小説化。

自分のもっている感覚がマイノリティ・センスであることを自覚したエピソード。

 

『踏まないで!』第11章 味方を求めて

最終章から。

書き上げた10章までを ハローワークの職員に見せた反応を小説化。

 

『踏まないで!』第11章 岸辺さんが残した記念碑(1)

最終章から。

書き上げた10章までを 文学会のメンバーに見せた反応を小説化。

 

『踏まないで!』第11章 岸辺さんが残した記念碑(二)

最終章から。

書き上げた10章までを文学会のメンバーに見せた反応を小説化。

 

『踏まないで!』第11章 ブラックホールの使命

聴覚過敏手記最終章から。

書き上げた10章までを近所の市議会員に見せた反応を小説化。

 600頁にわたる手記のクライマックス

自分で書いて自分で癒されてます。

 

 

「SNS不安」

ジャンル:小論文

読みやすさ:★★★★ わかりやすさ:★★★★ コミュニケーション★★★★★

SNS(ツイッター)ができない心理を考察した小論文です。

つながる不安を、自分の体験に基づいて、詳しく考察しています。

 

SNS不安 (1)ツイッターができない

はじめに。なぜかツイッターができないのです。

語ろうとすると「緘黙」になります。

 

SNS不安 (2)通知にウッ!

ツイッター「通知」を見ているだけで、冷や汗をかく思いがします。

ツイッターがやりづらい私」のイメージを、ことばと図で描写しました。

 

SNS不安 (3)思いきってタイムラインへ……

タイムラインを覗くと、目に飛び込んでくるのは……。(図あり)

 

SNS不安 (4)ノイズの大海

タイムラインはノイズだらけ。

「広場」で求められる共感は、自己意識への侵食になります。

 

SNS不安 (5)低空飛行

ツイートの一つひとつを確認した印象です。

「人の見え方」を図で解説。

 

SNS不安 (6)雪崩(なだ)れ込む〈思念〉と〈感情〉

タイムラインからは、「中立的な単なる情報」ではない人々の心、思惑、想念、思考、意思、意識――ひとことで表すと、〈思念〉〈感情〉が雪崩(なだ)れ込んできます。

その圧力が私の心に重しをかけ、侵食していきます。

小論文のクライマックスで、内容は濃いです。

 

SNS不安 (7)まとめ

 人々のむきだしの情緒的反応である〈思念〉と〈感情〉のつながり方は、あまりにも直接的で、粗暴で、ビビッドで、厚顔無恥で、無遠慮であると感じます。

小論文のまとめ。

 

 

「〈定位〉から考える聴覚過敏」

ジャンル:小論文

読みやすさ:★★★ わかりやすさ:★★ 聴覚過敏★★★★★ 専門性★★★★

聴覚過敏について考察した小論文です。

自閉症の聴覚過敏を、自分の体験に基づいて、深く、詳しく考察しています。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏1 はじめに

聴覚過敏とは何か。原因はいまだによくわかっていません。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏2 〈定位〉の発見(1) この世界と私の身体の接地点

私の「聞こえ方」を解説しました。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏3 〈定位〉の発見(2) スルリとはまり、なじむ

空間から与えられたちょうど私の形をした空隙に、自己の位置を定立すること。これを<定位>と名付け、自分の<定位>体験を語りました。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏4 聴覚の〈定位〉

受動状態と能動状態の音の感度は違います

受動的な自閉症の人は聴覚の<定位>が難しいということを考察しました。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏5 中枢利得と内圧

自閉の進行方向は内に向かう収束のエネルギーで、聴覚過敏の進行方向は自閉が閉じ込めたエネルギーを内面世界の境界内で膨圧(内圧)させる、外に向かうエネルギーだと感じます。内圧について考察しました。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏6 音を受け止めてレシーブする選択的注意

なぜ聴覚過敏になるのでしょうか?

音を「受け止めて反応(レシーブ)する」ことのつたなさ、音を受容するときの「体勢」の不安定さが関わっていることを考察しました。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏7 〈第一陣〉に穴があく

音を聞くことは意識の問題か否か考察しました。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏8 選択的に注意するものは何か

選択的注意ができる人とできない人の聞こえ方について考察しました。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏9 こだわる固体の固着とこだわらない気体の流動

過敏な人と鈍感な人はどう違うのでしょうか?

自閉症はこだわりが先にあるのでしょうか? それとも感覚過敏が先にあるのでしょうか?

自閉症の本質を考える記事中盤のクライマックスです。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏10 火に油を注ぐもの(1) 不安

聴覚を過敏にさせる3つの要素「調整」「気分」「音の意味」のうち、「気分」「音の意味」といった心理的な問題が聞こえ方に与える影響ははかりしれず大きいものがあります。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏11 火に油を注ぐもの(2) 音の意味

「音の意味」が全然わからない条件で音を聞く場合と、よくわかる条件で音を聞く場合とでは、聞こえ方にかなり差が生じます。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏12 刺激に意味を求めるか否か

音刺激に含まれる、しばしば自分に関係づけられるはずの意味内容が理解できないために、対象と自分のあいだに横たわる布陣を把握できず、自分の身体が空間に定立する位置を確定できない、つまり<定位>できない

 聴覚以外の感覚刺激に、私たちは意味を求めるでしょうか? 聴覚には?

意味が感覚に与えるものは何でしょうか。

 

〈定位〉から考える聴覚過敏13 まとめ

私の場合、聴覚過敏はなぜ起こるのか。どのように対処するのか。

小論文全体のまとめです。

 

 

「開通―コミュニケーションの封鎖が解かれるまで―」

ジャンル:小論文寄り小説

読みやすさ:★★★ わかりやすさ:★★★ 話し言葉★★★★★ 専門性★★★

コミュニケーション・ことばについて考察した小論文寄りの小説です。

話しことばを失ってから取り戻すまでの物語です。

 

開通―コミュニケーションの封鎖が解かれるまで― 1 話しことばの意味が消えた……コミュニケーション封鎖の感覚

話し言葉が不自由な私は、突然会話できなくなった。

ことばが音に聞こえる――。

 

開通―コミュニケーションの封鎖が解かれるまで― 2 input(入力現象)を阻害している要因

なぜことばが通じなくなったのか? 考察した章。

 

開通―コミュニケーションの封鎖が解かれるまで― 3 通じた!

少しずつ、少しずつ通じ始めた。

歯科衛生士に、パソコンの向こうの相手に。

 

開通―コミュニケーションの封鎖が解かれるまで― 4 文学会でチャンネル開通

文学会における会話で話しことばを取り戻していった、小説のクライマックス

 

開通―コミュニケーションの封鎖が解かれるまで― 5まとめ

どのようにコミュニケーション(話しことば)を取り戻すことができたか。

論文調のまとめ。

 

 

「ヒキコモルートアドベンチャー

ジャンル:小説

読みやすさ:★★★★★ わかりやすさ:★★★★★ ひきこもり★★★★★

あるひきこもりの日常をユーモラスに描いた小説です。

各話イラスト付き。痛くも重くもないのでストレスなく読めます。

 

 

ヒキコモルートアドベンチャー 1 これが忍術…?

ひきこもりの僕は散歩に出た。そこで待ち受けていたものは……。


ヒキコモルートアドベンチャー 2 赤い俊足

赤いランニングシャツを着た老人が僕にかまってくる。

ヒキコモルートの危機だ!

 

ヒキコモルートアドベンチャー 3 川辺のカモフラージュ

川遊びに心を誘われるフリをして、赤い俊足の目から逃れる。

家の近所でなぜこんな冒険を……。

 

ヒキコモルートアドベンチャー 4 異種間戦争

爬虫類とホモサピエンスの異種間戦争始まる。

ヒキコモルートアドベンチャー 2 赤い俊足

 その男は散歩の途上で毎日すれ違う、背丈の低い近所の老人である。いつも赤や青の派手な原色のランニングシャツを着て早足で歩くか、走っている。赤いシャツを着用している確率が高いので「赤シャツ」命名したいところだが、某名作のネーミング盗用になってはいけないので、「赤い俊足」と呼んでおく。

 

 赤い俊足と僕は二年ほどの知り合いになる。最初の一年は、すれ違ってもお互い知らぬ者同士で、会釈すらしなかった。ところが顔見知りになるにつれ、彼は僕の姿を認めるや大きく手を広げて、

 

「あんたがおらんと寂しいわぁ」

 

 と言ってポンと背中を叩き、やたらとかまってくるようになった。

 

 僕は哲学者のように、歩きながら一人静かに考え事をしたかった。この穏やかな癒しの時間を誰にも邪魔されたくなかった。だから、話しかけられるのを鬱陶しく思いながら、軽く会釈だけしていた。

 

 それがある日、彼はニコニコして言うのである。

 

「昨日、堤防の向こうからあんたを見とったよ。猫とじゃれとったやろ」

 

「ああ、そう言えば……」

 

 なぜ奴が僕の行く手をマークしているのだ。

 

「俺とじゃれようか」

 

 赤い俊足はいきなり右手を突き出し、握手してきた。軽い冗談のつもりだったのだろうが、僕は気持ち悪くて、思いきり手を振り払い、一目散に退散した。見ず知らずの老人から馴れ馴れしく触られるのも不快だが、猫と遊んでいる姿をずっと見られていたかと思うとぞっとした。

 

 以来、赤い俊足を徹底的に避けているのである。僕の神聖なるヒキコモルートの危機だ!

 

 悩みに悩んだ末、

 

「僕は馴れ馴れしくされるのが苦手なので、かまわないでください」

 

 とメモ帳の紙片に短い手紙をしたためた。伝達可能な日本語か。文法は正確か。たかがメモ一枚のために二度も推敲して。

 

 この一筆箋をズボンのポケットに忍ばせておいたのだが、結局彼とはち合わせる可能性を避けて、散歩の時間を一時間早めるようになった。

 

 

 

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ヒキコモルートアドベンチャー 1 これが忍術…?

 僕はいい年をしたひきこもりだ。ひきこもったいきさつは、面倒だから言いたくない。どうしてもそうせずにはやっていられない、やむにやまれぬ差し迫った絶対的必要があるからそうしているだけのことだ。

 僕はかねがねひきこもりの冒険譚が読みたいと思っていた。ひきこもりは自室を脱出し、どこか遠くへ旅して、何か大事をやらかして、誰かとハートウォーミングな触れ合いをしなければ、冒険譚は成立しないのだろうか。こうした疑問からこの物語は生まれた。

 ひきこもりの冒険は家の中に、もしくは家の周辺にあるのだ。

 

 春たけなわの平日午後二時半。僕は籠城の体力を維持するべく、散歩するために自宅を出た。いきなり部屋から出てしまったことをお許し願いたい。といってもたかだか往路五百メートル。たいした距離ではない。

 

 つい先日満開だった桜が八分も散っていて、早くも木々が深緑に変わりつつある。うだるような暑さに、僕は着ていたシャツを腕まくりした。

 僕の服装はイケてない。つまり大変ダサい。ダサいを通り越して、このままではマズい。

 よれよれのジーパンは足より五センチ長く、地面を引きずって黒く汚れている。寸直ししたいと二年ほど悶々とした末、面倒臭くて放置してある。今日なんかいいほうで、パジャマを着ている時もある。シャツはところどころ穴が開き、ほつれていて、ボタンが全部留まっているかどうか定かではない。

 二〇年以上前に千円で買った真っ黒いジャンパーは、とりあえず羽織ってはみたものの、暑さのあまり用を為さず、腰に無造作に巻きつけてある。邪魔で仕方ない。持ってくるんじゃなかった。

 とても人様にお見せできない恥ずかしい普段着、というより寝巻きである。たかだか散歩にお洒落は不要。散歩圏内など、ほぼ家の中も同然。家の中は寝巻きで闊歩するに限る。

 

 散歩道の途上、小学校の運動場脇には、幅四メートルほどの小径があり、右手に桜、左手に金木犀(きんもくせい)の並木がある。金木犀は二メートル置きにぎっしり植樹されていて、海沿いの防風林のごとき高い壁をなしている。

 この小径に差し掛かった時だった。視力〇、一のボンヤリした視界の遠くに、赤い人影が見えたような気がした。

 

 ――こんな時間に、まさか奴が……!

 

 歩きながらもう一度目を凝らして遠方を窺った。確かに赤いシャツを着た男が近づいてくる。

 僕はとっさに金木犀の茂みに突っ込んだ。そもそもここには人間が潜れる隙間などない。

 茂みの裏手には川沿いの堤防がある。本当は、植樹の切れ目にある正規の抜け道を潜り抜けて堤防に逃れたかったが、目的地に辿り着く間に男とはち合わせてしまうから、やむを得ず密生している金木犀の傘下へ無理矢理突っ込んだのだ。

 

 

 

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 尖った枝と葉がガリガリ肌を引っ掻く。イタタタ! 悲鳴を上げながら障害物を押しのけ、なんとか堤防に出た。

 

「ふう、助かった」

 

 しかし、内心ヒヤヒヤしていた。普通このシチュエーションでは、知らぬふりをして男とすれ違うか、もと来た道へ撤退するか、二つに一つしかありえない。それなのに、本来人が入るはずのない空間に身を隠して、忍者が壁に同化するように、忽然と気配を消してしまった。これではいかにも不自然だ。健康を維持するべく朝に夕に活動する散歩者としてありえない振る舞いである。奴に怪しまれなかっただろうか?

 

 

 

開通―コミュニケーションの封鎖が解かれるまで― 5まとめ 〈アンテナ〉と〈チューニング〉

 私のinput回路は、チューナー(受信機で同調操作を行う部分)を微調整するだけでなく、情報の発信源と媒介者に助けられることで、開通しやすくなる。

 

 私の思考・感覚には、〈アンテナ〉の立ちやすい位置や角度、情報を受けとる特定の周波数がある。

 

 ラジオのチューニングをするように、〈アンテナ〉を適切な角度で立て、受信しやすい周波に合わせてやれば、世界を解読するチャンネルは開通する。ここでいう〈アンテナ〉とは、興味関心に導かれた触手のような意志であり、〈チューニング〉とは、同調回路を取得する姿勢の微調整のことである。

 

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 以下の条件が、切断されたコミュニケーションを回復した。

 

 第一に、〈アンテナ〉が拾い、解読しようとする対象世界が、私の意識に到達する訴求力をもつこと。話者や筆者の思考や体験に、私のそれと似ている部分があり、「よく分かる」と理解・実感しやすいこと。

 第二に、情報を受けとる〈アンテナ〉の位置・姿勢を同じくする媒介者が、〈アンテナ〉の立つ位置(input通用門)に情報を送り込み、〈チューニング〉意識を刺激すること。

 第三に、〈アンテナ〉を立てて、なんとしてでも情報を取得したいという、対象世界を求める意志があること。対象への興味・感心が強いこと。

 

 おそらく医師のいう「離隔」は、〈アンテナ〉が傾き、ダイヤルの位置合わせもズレていて、受信の姿勢が不安定で揺らいでいるために、情報がまったく入ってこない状態を指しているのではないか。

 発信源の情報を受け止める受容体(レセプター)そのものがなくなったのではない。周波数が合わず、アンテナも適切な位置に立っていないために、同期(シンクロ)できないのである。世界からもたらされる情報も、私が立てているアンテナに対して、あさっての方向から流れてくる。

 つまり、〈チューニング〉が狂っている。そこを合わせてやれば、コミュニケーションは開通するのではないか。

 

 コミュニケーションが封鎖された〈卵の殻〉の天空に、台風の目のようなトンネルができ、そこからチャンネルは開通した。チャンネルは世界の像を心のスクリーンに映し出した。

 

 こうして私は「離隔」から脱し、会話する自分を、voice(音声)によることばを取り戻すことができた。

 

辛苦を負う者

もし人間がなんらかの病、――ことに人格や知能の病のために、またはらいの神経痛のような、いてもたってもたまらないような苦痛のために、ふつうの精神機能をうばわれ、単なる「あえぐ生命の一単位」になってしまったとしたらどうであろうか。そういうひとは愛生園にもたくさんみられる。「熱こぶ」で呻吟しているひと、精神の病のために絶望や虚無のなかにおちこんでいるひと、高齢のためにあたまが働かなくなり、ただ食欲だけになってしまったようなひとなど。こういうひとには、もはや生きがいを求める心も、それを感じる能力も残されていないのではないか。こういうひとにもなお生きる意味というものがありうるのであろうか。

 これこそ生きがいの問題を考える者にとって、何よりも一ばん痛い問いである。その痛さをひしひしと身におぼえずには彼らに接することはできない。彼らはみな暗黙のうちに、この痛烈な問いを投げかけているからである。

神谷美恵子神谷美恵子コレクション 生きがいについて』 、みすず書房、2004年、280頁

 

 

  『生きがいについて』の中で一番感動的だったのは、11章「現世へのもどりかた」だった。

 

 年をとるとそれまでの生きがいが失われる。若い人のほうが生きがい感をもちやすい。だからこそ、生きがいを喪失するという危機は、人間が通らなけばならない、克服するのが望ましい一つの「道」なのだろう。

 

 小学生の頃、私は苦しくなかった。天真爛漫に生きていた。しかしあのバラ色の時代は、人生の本筋ではなかった。中学時代から続く「社会への違和感」こそが人生だった。

 

 神よ。私は大いなる何者かに向けて祈る心の中に、救いを求めたのです。

 昔の日記を読むと、10代後半から20代前半の苦しかった頃、信仰に救いを求めていたとわかる。「神は死んだ」――ニーチェ派のアカイシさんは、そんな私に別れを告げた。

 だがこの苦悩、この辛苦の中で、私は生きる救いを求めるのだ。大学時代までの私はそのように生きた。辛苦を生きる人間には、救いが、もっと言えば信仰が必要だ。

 

 Yを、Tを、Eを見よ。彼らは祈っている。

 あなたは彼らを嗤えるか?

 彼らはあなたほどの高みからものを見ることはできず、地べたを這いずりながら、自由のきかぬ固定された視界で、限定された風景を見ている。地べたを這いずる者は常に<当事者>なのだ。

 彼らを嗤うな! ――そして彼らに救いを。

(2018.1.15日記)

 

 

  *  *  *

 

 

【修羅の祈り】

 

わたくしは争いに明け暮れました
十字架の重みにひしがれて
遂にひらたい原生動物となり
地べたを這いずっております
見下ろすことのない一つの目は
固定された視界で 局限された風景を
眺めるしかございません
灯台よ あなたはその明晰な眼光で
空からわたくしのうごめく全容を
明らかに象ります
灯台よ あなたの視線は
世界をくまなく網羅するほど高いのです
しかし 修羅の道は
地を這うしかないものです
わたくしは登りましょう 這いながら
偽足をあなたの壁に伝わせながら
灯台よ あなたの見開いた目をわたくしの
淀んだ半眼に嵌め込みましょう
けれども もし失敗した暁には
灯台よ わたくしは修羅の祈りを
あなたの頭上に掲げましょう

(2018.9.4)

 

追記:スターありがとうございます(*´∇`*)