マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

ヒキコモルートアドベンチャー 1 これが忍術…?

 僕はいい年をしたひきこもりだ。ひきこもったいきさつは、面倒だから言いたくない。どうしてもそうせずにはやっていられない、やむにやまれぬ差し迫った絶対的必要があるからそうしているだけのことだ。

 僕はかねがねひきこもりの冒険譚が読みたいと思っていた。ひきこもりは自室を脱出し、どこか遠くへ旅して、何か大事をやらかして、誰かとハートウォーミングな触れ合いをしなければ、冒険譚は成立しないのだろうか。こうした疑問からこの物語は生まれた。

 ひきこもりの冒険は家の中に、もしくは家の周辺にあるのだ。

 

 春たけなわの平日午後二時半。僕は籠城の体力を維持するべく、散歩するために自宅を出た。いきなり部屋から出てしまったことをお許し願いたい。といってもたかだか往路五百メートル。たいした距離ではない。

 

 つい先日満開だった桜が八分も散っていて、早くも木々が深緑に変わりつつある。うだるような暑さに、僕は着ていたシャツを腕まくりした。

 僕の服装はイケてない。つまり大変ダサい。ダサいを通り越して、このままではマズい。

 よれよれのジーパンは足より五センチ長く、地面を引きずって黒く汚れている。寸直ししたいと二年ほど悶々とした末、面倒臭くて放置してある。今日なんかいいほうで、パジャマを着ている時もある。シャツはところどころ穴が開き、ほつれていて、ボタンが全部留まっているかどうか定かではない。

 二〇年以上前に千円で買った真っ黒いジャンパーは、とりあえず羽織ってはみたものの、暑さのあまり用を為さず、腰に無造作に巻きつけてある。邪魔で仕方ない。持ってくるんじゃなかった。

 とても人様にお見せできない恥ずかしい普段着、というより寝巻きである。たかだか散歩にお洒落は不要。散歩圏内など、ほぼ家の中も同然。家の中は寝巻きで闊歩するに限る。

 

 散歩道の途上、小学校の運動場脇には、幅四メートルほどの小径があり、右手に桜、左手に金木犀(きんもくせい)の並木がある。金木犀は二メートル置きにぎっしり植樹されていて、海沿いの防風林のごとき高い壁をなしている。

 この小径に差し掛かった時だった。視力〇、一のボンヤリした視界の遠くに、赤い人影が見えたような気がした。

 

 ――こんな時間に、まさか奴が……!

 

 歩きながらもう一度目を凝らして遠方を窺った。確かに赤いシャツを着た男が近づいてくる。

 僕はとっさに金木犀の茂みに突っ込んだ。そもそもここには人間が潜れる隙間などない。

 茂みの裏手には川沿いの堤防がある。本当は、植樹の切れ目にある正規の抜け道を潜り抜けて堤防に逃れたかったが、目的地に辿り着く間に男とはち合わせてしまうから、やむを得ず密生している金木犀の傘下へ無理矢理突っ込んだのだ。

 

 

 

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 尖った枝と葉がガリガリ肌を引っ掻く。イタタタ! 悲鳴を上げながら障害物を押しのけ、なんとか堤防に出た。

 

「ふう、助かった」

 

 しかし、内心ヒヤヒヤしていた。普通このシチュエーションでは、知らぬふりをして男とすれ違うか、もと来た道へ撤退するか、二つに一つしかありえない。それなのに、本来人が入るはずのない空間に身を隠して、忍者が壁に同化するように、忽然と気配を消してしまった。これではいかにも不自然だ。健康を維持するべく朝に夕に活動する散歩者としてありえない振る舞いである。奴に怪しまれなかっただろうか?