マイノリティ・センス

自閉スペクトラム症の個人的な表現・分析(聴覚過敏多め)

スイレン

SNS不安 (1)ツイッターができない

SNS不安


 


 私はツイッターができない。フェイスブックも、LINEも、インスタグラムも。SNSソーシャルネットワーキングサービス)と称される、参加者同士のコミュニケーションを主目的にしたWEBサービスが苦手だ。ふだんから絵を描いたり文章を書いたりしているので、作品を広報するために始めてみたものの、ストレスフルでやめてしまった。SNS興隆の時代にあって、常に大量の情報に触れている現代人からみると、私は情報弱者ということになるのだろう。

 

 自分でもなぜだかわからない。なぜこんなこともできないのか。もっとガンバッテ「その世界」に浸ってみると、意外にできるのかもしれないが、なぜか負担になり、敬遠してしまう。

 

 SNSが使えなくても、使わなければいいだけの話だ。できませんでした。終わり。以上。だから何? 苦手なんです。そこでことばは止まる。

 

 SNSをやろうとすると、語ろうとすると、ウッ! と胸がつかえる。体がゾワーッと不可解な拒絶反応を示す。外から入ってくる情報が胸のあたりでせき止められ、内から吐き出される感情が同じく胸のあたりでつかえる。両者が戦場でにらみ合うごとく、三すくみならぬ二すくみになって立ち往生する。

 

 この「ウッ!」を、ことばにして説明するのは難しい。無言、無口になる。強い自己抑制がかかる。言語化してどうするの?

 

 しかし、この息詰まるような、澱(よど)んだ自己抑制感はけっこう苦しい。気持ち悪い。なんとかことばにしてみたい。語るとスッキリするに違いない。ところが、口を開こうとすると、いよいよことばは引っ込む。何コレ? と思っているうちに、4年が過ぎてしまった。

 

 

 不思議と、自分のまわりにSNSができないと悩んでいる人がいない。ウッ! とか、ゾワーッとかってならないの? 胸がムカムカしないの? どうしてみんな平気で、それどころか喜々として情報に浸っていられるの?

 

 そういうことを考えると、いよいよ無言、無口になる。無言ということは、ことばがないということではない。〈ことばが出ないということば〉が浮き彫りになるのが、無言という現象である。この無言は、いわゆる緘黙に近いらしい。

 

 この「緘黙」には意味がありそうだ。あえてガンバッテ言語化してみようと思う。